どちらがナーレスアン王の最期の寺院?
アユタヤ王朝建国の父と呼ばれるタイ三大王のうちの一人ナーレスアン大王
彼はビルマを落とそうと進軍していた際、現在のチェンマイの付近で1604年4月25日月曜日に病死してしまう
偉大な王である彼の葬式はやはり故郷アユタヤで行うべきと『無言の帰郷』を果たし、このアユタヤの地で火葬されたという
文献には『ワット・ウォラチェーで火葬された』となっている
ところが
アユタヤにこの名前の寺院が2つ存在するモノだからさあ大変
どちらが大王の最期の場所だったかの論争が始まるのであった
まあ論争と言って両方とも『放棄された廃墟寺院』
当事寺に人がいないので論争もへったくれも無いんですがね・・
ちなみにもう一つのワット・ウォラチェーはこちら
こっちも色々逸話があって面白かったりして♡
(′∀`)
という事でこっちは中央アユタヤに存在
多くの廃墟寺院でにぎわうアユタヤ島北西地区にあたる箇所となる
広大敷地はよく整備され気持ちがいい
このあたり全般はアユタヤ歴史公園として、文化遺産として都市全体が世界遺産に指定されている地域
そう考えると神々しくていいですな
誰もいませんが・・
チェディー前の古き仏像
いかにもアユタヤらしい光景
(・∀・)
こんなにもいい雰囲気なのに、他のビックネーム遺跡と比べ誰もおらず且つ入場料など野暮なものも取らない
アユタヤ観光はもうこの辺回ればよかったりして
(′∀`)
この全体の雰囲気と広さ、またここにあったであろう他の建物群から考察してももう一つのワット・ウォラチェーよりこちらの方が規模が大きい
さらに葬儀に関する人の流れや大型仏像等の搬送を考えると、大河に阻まれたもう一つよりこちらの方が地理的にもスムーズに行えたと考えられている
そのような事から、今日こちらの寺院がナーレスアン大王の火葬場であったと結論されているのだとか
(*・ω・)ノ
それはさておき壁付遺跡はやはり絵になりますな
アユタヤあるあるを継承していれば、きっと中には仏像が鎮座していらっしゃるのでしょう
( ´∀`)つ
この修道院は約400年前に建てられたと推測されている
天井こそ崩落してしまっているが、四方の壁とそこにスタッコ装飾の一部も残っている
またちらりと見える仏様
予想通りいらっしゃいましたね♡
さらにもう一つの根拠として、この寺院は英国の年代記にも登場しているらしく、エカトサロット王がPhraWorachettharam Maha ViharnTempleを建てたと記述されているらしい
エカトサロット王ってナーレスアン大王の弟さんでしたっけね
名称の響きがこちらの寺院の方がより近いようで、後押しの一つとなったのだとか
なかなかグローバルなお話ですな
(・∀・)つ
ナーレスアン大王と言えばタイ人なら知らない人はいないくらいの英雄
そんな英雄の最期の地であればもっと観光的に活用すればいいのにと思ってしまう今日この頃
こんな歴史的価値の高い遺跡でも誰もいない遺跡になっちゃうのね・・
(´・ω・`)
どうやら一番活用しているのは、遺跡前でお供えセットを20THBで歩き売りしているおばちゃんくらいのようです。。
TEMPLE DATA
วัดวรเชษฐาราม
参拝時間 : 連日連夜
参拝料金 : 無料
電話 : 誰もいません
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アユタヤ王朝建国の父と呼ばれるタイ三大王のうちの一人ナーレスアン大王
彼はビルマを落とそうと進軍していた際、現在のチェンマイの付近で1604年4月25日月曜日に病死してしまう
偉大な王である彼の葬式はやはり故郷アユタヤで行うべきと『無言の帰郷』を果たし、このアユタヤの地で火葬されたという
文献には『ワット・ウォラチェーで火葬された』となっている
ところが
アユタヤにこの名前の寺院が2つ存在するモノだからさあ大変
どちらが大王の最期の場所だったかの論争が始まるのであった
まあ論争と言って両方とも『放棄された廃墟寺院』
当事寺に人がいないので論争もへったくれも無いんですがね・・
ちなみにもう一つのワット・ウォラチェーはこちら
こっちも色々逸話があって面白かったりして♡
(′∀`)
という事でこっちは中央アユタヤに存在
多くの廃墟寺院でにぎわうアユタヤ島北西地区にあたる箇所となる
広大敷地はよく整備され気持ちがいい
このあたり全般はアユタヤ歴史公園として、文化遺産として都市全体が世界遺産に指定されている地域
そう考えると神々しくていいですな
誰もいませんが・・
チェディー前の古き仏像
いかにもアユタヤらしい光景
(・∀・)
こんなにもいい雰囲気なのに、他のビックネーム遺跡と比べ誰もおらず且つ入場料など野暮なものも取らない
アユタヤ観光はもうこの辺回ればよかったりして
(′∀`)
この全体の雰囲気と広さ、またここにあったであろう他の建物群から考察してももう一つのワット・ウォラチェーよりこちらの方が規模が大きい
さらに葬儀に関する人の流れや大型仏像等の搬送を考えると、大河に阻まれたもう一つよりこちらの方が地理的にもスムーズに行えたと考えられている
そのような事から、今日こちらの寺院がナーレスアン大王の火葬場であったと結論されているのだとか
(*・ω・)ノ
それはさておき壁付遺跡はやはり絵になりますな
アユタヤあるあるを継承していれば、きっと中には仏像が鎮座していらっしゃるのでしょう
( ´∀`)つ
この修道院は約400年前に建てられたと推測されている
天井こそ崩落してしまっているが、四方の壁とそこにスタッコ装飾の一部も残っている
またちらりと見える仏様
予想通りいらっしゃいましたね♡
さらにもう一つの根拠として、この寺院は英国の年代記にも登場しているらしく、エカトサロット王がPhraWorachettharam Maha ViharnTempleを建てたと記述されているらしい
エカトサロット王ってナーレスアン大王の弟さんでしたっけね
名称の響きがこちらの寺院の方がより近いようで、後押しの一つとなったのだとか
なかなかグローバルなお話ですな
(・∀・)つ
ナーレスアン大王と言えばタイ人なら知らない人はいないくらいの英雄
そんな英雄の最期の地であればもっと観光的に活用すればいいのにと思ってしまう今日この頃
こんな歴史的価値の高い遺跡でも誰もいない遺跡になっちゃうのね・・
(´・ω・`)
どうやら一番活用しているのは、遺跡前でお供えセットを20THBで歩き売りしているおばちゃんくらいのようです。。
TEMPLE DATA
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参拝時間 : 連日連夜
参拝料金 : 無料
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