誰も知らない知られちゃいけない・・♬
およそ10日毎にお贈りしている『アユタヤ放棄された廃墟寺院シリーズ』
すでに多くの方に飽きられ記事自体が放棄されまくっている感もあるシリーズとなっております
もとよりこのブログは『誰も興味を持っていないタイの紹介』がモットー
放棄されるは百も承知、むしろモットー通りに事が進み安堵すら感じている次第でございます
( ;∀;)
さてそんな放棄寺院
実は下記の様な定義の遺跡を紹介しております
①アユタヤ王朝時には存在し王朝崩壊とともに廃寺化した
②直近まで手付かずのままで長期間放棄されていた
③お坊様的な常駐者が現在でもお見えにならない

とはいえ今まで紹介してきたこれらの放棄寺院は現在ではそれなり修復され、名称看板や説明書き等も用意されている半放棄状態の遺跡と言えます
さてそんな中、不定期にお送りする
『放棄され過ぎにも程がある廃墟寺院シリーズ』
これは先の定義に加えて
④看板らしきものが存在しない、または簡易的なもののみ
⑤遺物自体がほとんどなく街に溶け込んでしまっている
⑥時に道なき道をくぐり抜けないと辿り着かない
⑦時に犬に吠えられ、地域住民に不審がられる道を進まなくてはならない
⑧誰にも見向きもされていない感が満載である
を満たすアユタヤ内の廃墟寺院を指します
見つけるのすら困難な遺跡は言い換えれば見つける必要もない遺跡
(・∀・)つ
だが真の放棄ジニリストはそこに興奮の沸点があるのです!
さてこの段階で『こいつ何言ってるんだ?』とお思いでしょう
百聞は一見に如かず、早速一緒に見ていきましょう
( ・`ー・´) + キリッ
今回はアユタヤ島の西側地域を抜粋
ワット・チョン・ロム
まずはいきなり訪問難易度レベルMAXの遺跡
完全に人様のお庭の中にある遺跡となります

かつて平原であったこの地域にはアユタヤ王朝時多数の寺院が存在しました ここはそのうちのひとつです 修道院の壁だけが残る遺跡
・・なのですがこんなおうちの奥にあるんですよ
勘弁してほしいですね
(≡ω≡.)
きちんと住民さんにご挨拶してお伺いしましょう



アユタヤの歴史文献においては、ナレースワン王子と彼の兄弟であるエカトサロット王子が、ビルマ軍との戦いの際、この寺院の近くに軍のキャンプを設立したとの記述が出てきます 1586年7月に軍隊をここに集結させ総攻撃を計画
ビルマの野営地に非常に激しい砲撃を与え、当時のホンサワディ国王に一部のビルマ軍を撤退させました そんな歴史が残る一方、建立に関する歴史的データはよく分かっておりません



ワット・コンチャック
ここもまた民家の庭先にありますが、幾分見学はしやすいです
一応参拝出来るようなアレンジが加わっており、供物も置かれているので地元の方も来られているのでしょう

このコンチャックとは108の歯を持つ円盤状の武器の事
これはヒンドゥー教の神、ヴィシュヌ神が持つ武器として有名
なにゆえ仏教施設がヒンドゥー絡みの名を持つのかは、大いなる謎でございます
(・_・?)



ここには以前チェディや教会壁などが残っていたのですが、度重なる洪水により押し流されたと推測されています
現在ではそれらを構成していたであろう、レンガの残骸が散らばっているだけとなってしまいました
ですが、それとは別にいくつかの仏像の一部は流されす残りました
そこで珍しくその欠片にユニークなお顔を付け、保護の為屋根までつけて手厚く保護されるようになりました
そう考えれば放棄されすぎていませんね、ここ・・
失礼しました
m(_ _ )m



ワット・カーンカーオ
同一の名前のお寺さんの駐車場にあるチェディー跡
広大な駐車場にぽつんと存在しています
ワット・カンカ―オ自体はアクティブなお寺さんですが、この遺跡の周辺のみ雰囲気が違いますね

1926年に作成されたアユタヤ遺跡地図には表記されていなかったこの遺跡
建立に関する文献も当然なく、謎に包まれていた遺跡です
2010年頃まではのっぱらに完全放棄されており、当時までは近くのワット・ターカーロンという寺院の一部と解釈されていました



スタッコ装飾の一部がわずかに残るチェディー跡
ワット・カーンカーオに来られた際は忘れずにお立ち寄りください


ワット・パーサオ
ワット・カサッティラート・ウォラウィハーンという長ったらしい名前のお寺さんの駐車場奥にある小さな仏塔の遺跡です 住宅地のど真ん中にあり普通に発見困難な場所になります
なかなか閉塞的な住宅地なので、外人が歩いているだけで『ヘイ!ミスター、どこへ行くんだい?』とお声がけされます
(・∀・)

まあ、声がけされても『ウボソットを見に行くんだい』と少年のように伝えれば何の問題もありません
(′∀`)
中型の鐘型のチェディは何年か放棄されていた雰囲気で一部崩壊しています 亀裂が入るチェディはその昔遺跡荒らしより破壊され、ここにあった価値ある装飾品は軒並み強奪されてしまったようです



ワット・パーサオの建立詳細は不明ですが、チェディはアユタヤ王朝中期に人気のあるスタイル
この遺跡は1926年に作成された遺跡地図には掲載はなく、1993年の美術部門の地図でようやく記載されました



ワット・スレン
小さなココナッツ工場の脇を進んだ場所にあります 遺跡は林の中に広がるレンガ跡のみです レンガ跡の散らばり具合から、以前周囲は壁に囲まれていた寺院があったと推測されています

ここのココナッツ工場の奥です
普通なら絶対に通らない箇所になるのと、林の中にレンガが散らばっているだけの風景なので、何の情報もなしにこの遺跡に気づく方はもはや神でしょう
(・∀・)



昔はここにコミュニティがあり、近くを流れるクロム運河を利用し街が発展していたと考えられています
壁に囲まれた集落は安心感を与え、平和で穏やかな空間がここにはあったのかもしれません



ワット・タオ
ここもレンガ塚遺跡
且つ先ほどのワット・スレンより一段と訪問困難な場所になります
行きづらさの観点からすれば放棄されすぎ寺院内でもトップクラスに入ります

ルート3469沿いにある家具工場の奥に広がる田んぼのさらに奥になります
この段階で入っていいのかどうかの判断もさることながら、林の中にあり田んぼからも遺跡が目視出来ないのも不安感をあおります



かなりの勇気を持って辿り着いたところで、あるのはポツンと神社とレンガ塚のみです
ですがこのレンガ塚は寺院の跡の他、戦争用の大砲土台であったとも考えれています
実はアユタヤ王朝時にはここにビルマ軍の大砲が設置されており、ここよりアユタヤ市街に向け発砲されていました 1926年のPhraya Boran Rachathaninの地図には示されていませんので、その以降に発見された遺跡です



さてあともう二つ
もう少しお付き合いを
(・∀・)つ
ワット・タームック
珍しく簡易看板が設置されている遺跡
先ほどのワット・タオよりちょっと南、ルート3469沿いにあります
ここは通りより看板が確認出来アクセスは楽な遺跡です

レンガ塚に仏像が祀られています
ここの遺跡はどうやら現在調査中のようで、もしかしたら将来なんらかの修復が行われるかもしれません
小さな丘全体が遺跡になっており、レンガ塚に土がたまり草木が生えてしまったといい感じ
まあ見た感じは全く分かりませんがね



19世紀半ばの地図にも、1926年に作成されたプラヤボランラチャタニンの地図にも、記載がない事からそれ以降に発見された遺跡 そのためご多分に漏れずこの寺院の建立に関する情報は一切ありません



さて最後
ワット・クティ
ここも超絶わかりづらい&寂しすぎる遺跡
民家の庭先系遺跡は周辺からは目視出来ず、ある程度えいやっで突き進まないと確認出来ません
そしてあるのはアユタヤ名物頭無仏像
もうここまで来るとなぜここに名前がついているのかも不思議ですな

雰囲気はこんな感じ
ブランコがあったりと完全に庭先ですな
きちんとご挨拶して参拝に臨みましょう



実はグーグルマップ上、違う位置にこの遺跡が登録されています
なのでこの遺跡に関しては実はリベンジ
半年ほど前グーグルマップを過信して行ってしまい、どうしても発見出来なかった経験を持ちます
ゆえに勝手に思いれ深い遺跡
という事で今回のトリに持ってきてみました♡



さて、という事でグーグルマップにもあまり掲載が無く、且つ申請してもグーグルさんが内容承認すらしてくれない遺跡群
ここでも放棄されてしまうとは・・
(´;ω;`)
でもご安心を
放棄ジニリストであるわたくしが下記にまとめさせて頂きましたので、ご興味がある方は是非お遍路してくださいませ
( ̄ー ̄)
最後までご覧いただき、ありがとうございました
さて北西アユタヤ編はこちら
えっ?もうお腹一杯ですって
またまた御冗談を・・
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およそ10日毎にお贈りしている『アユタヤ放棄された廃墟寺院シリーズ』
すでに多くの方に飽きられ記事自体が放棄されまくっている感もあるシリーズとなっております
もとよりこのブログは『誰も興味を持っていないタイの紹介』がモットー
放棄されるは百も承知、むしろモットー通りに事が進み安堵すら感じている次第でございます
( ;∀;)
さてそんな放棄寺院
実は下記の様な定義の遺跡を紹介しております
①アユタヤ王朝時には存在し王朝崩壊とともに廃寺化した
②直近まで手付かずのままで長期間放棄されていた
③お坊様的な常駐者が現在でもお見えにならない

とはいえ今まで紹介してきたこれらの放棄寺院は現在ではそれなり修復され、名称看板や説明書き等も用意されている半放棄状態の遺跡と言えます
さてそんな中、不定期にお送りする
『放棄され過ぎにも程がある廃墟寺院シリーズ』
これは先の定義に加えて
④看板らしきものが存在しない、または簡易的なもののみ
⑤遺物自体がほとんどなく街に溶け込んでしまっている
⑥時に道なき道をくぐり抜けないと辿り着かない
⑦時に犬に吠えられ、地域住民に不審がられる道を進まなくてはならない
⑧誰にも見向きもされていない感が満載である
を満たすアユタヤ内の廃墟寺院を指します
見つけるのすら困難な遺跡は言い換えれば見つける必要もない遺跡
(・∀・)つ
だが真の放棄ジニリストはそこに興奮の沸点があるのです!
さてこの段階で『こいつ何言ってるんだ?』とお思いでしょう
百聞は一見に如かず、早速一緒に見ていきましょう
( ・`ー・´) + キリッ
WAT CHONG LOM
今回はアユタヤ島の西側地域を抜粋
ワット・チョン・ロム
まずはいきなり訪問難易度レベルMAXの遺跡
完全に人様のお庭の中にある遺跡となります

かつて平原であったこの地域にはアユタヤ王朝時多数の寺院が存在しました ここはそのうちのひとつです 修道院の壁だけが残る遺跡
・・なのですがこんなおうちの奥にあるんですよ
勘弁してほしいですね
(≡ω≡.)
きちんと住民さんにご挨拶してお伺いしましょう



アユタヤの歴史文献においては、ナレースワン王子と彼の兄弟であるエカトサロット王子が、ビルマ軍との戦いの際、この寺院の近くに軍のキャンプを設立したとの記述が出てきます 1586年7月に軍隊をここに集結させ総攻撃を計画
ビルマの野営地に非常に激しい砲撃を与え、当時のホンサワディ国王に一部のビルマ軍を撤退させました そんな歴史が残る一方、建立に関する歴史的データはよく分かっておりません



WAT KONG JAK / วัดกงจัก
ワット・コンチャック
ここもまた民家の庭先にありますが、幾分見学はしやすいです
一応参拝出来るようなアレンジが加わっており、供物も置かれているので地元の方も来られているのでしょう

このコンチャックとは108の歯を持つ円盤状の武器の事
これはヒンドゥー教の神、ヴィシュヌ神が持つ武器として有名
なにゆえ仏教施設がヒンドゥー絡みの名を持つのかは、大いなる謎でございます
(・_・?)



ここには以前チェディや教会壁などが残っていたのですが、度重なる洪水により押し流されたと推測されています
現在ではそれらを構成していたであろう、レンガの残骸が散らばっているだけとなってしまいました
ですが、それとは別にいくつかの仏像の一部は流されす残りました
そこで珍しくその欠片にユニークなお顔を付け、保護の為屋根までつけて手厚く保護されるようになりました
そう考えれば放棄されすぎていませんね、ここ・・
失礼しました
m(_ _ )m



WAT KHANGKHAO / วัดค้างคาว
ワット・カーンカーオ
同一の名前のお寺さんの駐車場にあるチェディー跡
広大な駐車場にぽつんと存在しています
ワット・カンカ―オ自体はアクティブなお寺さんですが、この遺跡の周辺のみ雰囲気が違いますね

1926年に作成されたアユタヤ遺跡地図には表記されていなかったこの遺跡
建立に関する文献も当然なく、謎に包まれていた遺跡です
2010年頃まではのっぱらに完全放棄されており、当時までは近くのワット・ターカーロンという寺院の一部と解釈されていました



スタッコ装飾の一部がわずかに残るチェディー跡
ワット・カーンカーオに来られた際は忘れずにお立ち寄りください


WAT PA SAO / วัดป่าเสา
ワット・パーサオ
ワット・カサッティラート・ウォラウィハーンという長ったらしい名前のお寺さんの駐車場奥にある小さな仏塔の遺跡です 住宅地のど真ん中にあり普通に発見困難な場所になります
なかなか閉塞的な住宅地なので、外人が歩いているだけで『ヘイ!ミスター、どこへ行くんだい?』とお声がけされます
(・∀・)

まあ、声がけされても『ウボソットを見に行くんだい』と少年のように伝えれば何の問題もありません
(′∀`)
中型の鐘型のチェディは何年か放棄されていた雰囲気で一部崩壊しています 亀裂が入るチェディはその昔遺跡荒らしより破壊され、ここにあった価値ある装飾品は軒並み強奪されてしまったようです



ワット・パーサオの建立詳細は不明ですが、チェディはアユタヤ王朝中期に人気のあるスタイル
この遺跡は1926年に作成された遺跡地図には掲載はなく、1993年の美術部門の地図でようやく記載されました



WAT SULEN / วัดสุเรนทร์
ワット・スレン
小さなココナッツ工場の脇を進んだ場所にあります 遺跡は林の中に広がるレンガ跡のみです レンガ跡の散らばり具合から、以前周囲は壁に囲まれていた寺院があったと推測されています

ここのココナッツ工場の奥です
普通なら絶対に通らない箇所になるのと、林の中にレンガが散らばっているだけの風景なので、何の情報もなしにこの遺跡に気づく方はもはや神でしょう
(・∀・)



昔はここにコミュニティがあり、近くを流れるクロム運河を利用し街が発展していたと考えられています
壁に囲まれた集落は安心感を与え、平和で穏やかな空間がここにはあったのかもしれません



Wat Tao / วัดเต่า
ワット・タオ
ここもレンガ塚遺跡
且つ先ほどのワット・スレンより一段と訪問困難な場所になります
行きづらさの観点からすれば放棄されすぎ寺院内でもトップクラスに入ります

ルート3469沿いにある家具工場の奥に広がる田んぼのさらに奥になります
この段階で入っていいのかどうかの判断もさることながら、林の中にあり田んぼからも遺跡が目視出来ないのも不安感をあおります



かなりの勇気を持って辿り着いたところで、あるのはポツンと神社とレンガ塚のみです
ですがこのレンガ塚は寺院の跡の他、戦争用の大砲土台であったとも考えれています
実はアユタヤ王朝時にはここにビルマ軍の大砲が設置されており、ここよりアユタヤ市街に向け発砲されていました 1926年のPhraya Boran Rachathaninの地図には示されていませんので、その以降に発見された遺跡です



Wat Ta Muk / วัดพลับพลาไชย
さてあともう二つ
もう少しお付き合いを
(・∀・)つ
ワット・タームック
珍しく簡易看板が設置されている遺跡
先ほどのワット・タオよりちょっと南、ルート3469沿いにあります
ここは通りより看板が確認出来アクセスは楽な遺跡です

レンガ塚に仏像が祀られています
ここの遺跡はどうやら現在調査中のようで、もしかしたら将来なんらかの修復が行われるかもしれません
小さな丘全体が遺跡になっており、レンガ塚に土がたまり草木が生えてしまったといい感じ
まあ見た感じは全く分かりませんがね



19世紀半ばの地図にも、1926年に作成されたプラヤボランラチャタニンの地図にも、記載がない事からそれ以降に発見された遺跡 そのためご多分に漏れずこの寺院の建立に関する情報は一切ありません



WAT KWTI / วัดกุฎี
さて最後
ワット・クティ
ここも超絶わかりづらい&寂しすぎる遺跡
民家の庭先系遺跡は周辺からは目視出来ず、ある程度えいやっで突き進まないと確認出来ません
そしてあるのはアユタヤ名物頭無仏像
もうここまで来るとなぜここに名前がついているのかも不思議ですな

雰囲気はこんな感じ
ブランコがあったりと完全に庭先ですな
きちんとご挨拶して参拝に臨みましょう



実はグーグルマップ上、違う位置にこの遺跡が登録されています
なのでこの遺跡に関しては実はリベンジ
半年ほど前グーグルマップを過信して行ってしまい、どうしても発見出来なかった経験を持ちます
ゆえに勝手に思いれ深い遺跡
という事で今回のトリに持ってきてみました♡



さて、という事でグーグルマップにもあまり掲載が無く、且つ申請してもグーグルさんが内容承認すらしてくれない遺跡群
ここでも放棄されてしまうとは・・
(´;ω;`)
でもご安心を
放棄ジニリストであるわたくしが下記にまとめさせて頂きましたので、ご興味がある方は是非お遍路してくださいませ
( ̄ー ̄)
最後までご覧いただき、ありがとうございました
さて北西アユタヤ編はこちら
えっ?もうお腹一杯ですって
またまた御冗談を・・
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