2階建て鐘楼の奥は古代のセメント工場



遺跡の名の『ホーラッカン』は和訳すると『鐘楼:鐘つき堂』

その名が示す通りこの廃墟寺院のボスキャラは古の鐘楼となっている

アーチ型に通路が確保されたこの形はアユタヤ王朝後期にブームとなった形

この寺院の詳細は文献上残っていないが、この形状が建立時期を推測させているという

それから数百年が過ぎた現在でも、遺跡への入り口の役目を担っているこの鐘楼

多くの放棄寺院がチェディーを主役に置いている中、珍しいスタイルになっているともいえる

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★いきなりタイ語講座★

寺院の名前に含まれる『ラッカン : ระฆัง』の部分は『鐘 : Bell』を表します

そしてタイ文字の子音のひとつである

タイ文字の子音はそれぞれ固有名詞の名前がついていて、この文字には鐘を表すコーラッカンと言う読み方がついています

街角でこの の文字を見かけたら是非この寺院を思い出してあげてください
m(*_ _)m



と、そんなことはどうでもいいとして本題

ここはマクハム・リアン運河という中央アユタヤの東部に流れる運河沿いに立地

通常の観光ではあまり通りかからないエリアなので、少し分かりづらい位置にあたっている

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アユタヤ後期、ナーラーイ大王治世時代に流行ったデザイン

とは言え2階建て鐘楼でここまで大きいものはちょっと珍しい気がする

にしても建築のデザインにも流行り廃りがあるんだね


今現在建てているあなたの家も数百年後には『文献は残っていないが、デザインからして2020年前後の建立と推測される』と勝手に分析されるかもですよ
(。-∀-) ニヒ

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ここは鐘楼と本堂建物土台が残る遺跡

その間にあるスペースは発掘調査の結果、モルタル製作用の貯水池があったとされている

当時のモルタル製作は石灰を水と混ぜ発酵させていたとの事

発酵の際、熱と膨張圧力が発生する事から地下に穴を掘ってそこで発酵させていたのが一般的であった

ここで作られたモルタルでアユタヤの各寺院が造られたのかしらね?

そう考えると趣深いですな
(・∀・)つ

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その本堂跡には発掘の際出土した仏像群が安置されている

アユタヤらしくやはり頭部は切り取られていらっしゃいますね

こんなすみっこにある寺院の仏像にまで手を掛けるとは

アユタヤを根絶やしにしようとしたビルマ軍の執念を感じますな
(´・ω・`)

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そんな昔の惨劇はどこ吹く風で、現在では平和そのもの公園風遺跡

中央アユタヤの東部において遺跡は地元公園代わりになっているところが多い

菩提樹の零れ日が心地よい空間は、地元民の憩いの場にもなっている事でしょう

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まあ地元民はここで癒されますが、観光客は他にもふんだんに癒される遺跡はアユタヤにはあります

ゆえに折角の貴重な時間をここで費やすことはないでしょう

アユタヤ大好きで来るたびに訪れるヘビービジターの方は軽く立ち寄ってもいいかもですね
( ̄ー ̄)









その他&すべての写真はこちらより
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TEMPLE DATA

WAT HO RAKHANG
วัดหอระฆัง

参拝時間 : 思い立ったら
参拝料金 : 無料
電話   : 誰もいません
H.P.    : -




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