ラマ4世崩御で修復工事が止まっちゃった寺院



アユタヤ島北東部に位置するこの廃墟寺院は、大きなチェディーが目を引く住宅地に溶け込んだ遺跡

この寺院の詳しい建立時期は明らかになっていないが、マハタマラーチャ王治世時代(1569年~1590年)以前にはすでにあったとされている

その理由はアユタヤ年代記においてマハタマラーチャ王により2人のモン族貴族に、この寺院周辺への定住を呼び掛けていたとの記述が残っているとの事

そのいきさつはこの寺院に、なかなかの物語を提供してくれているのだと言う

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アユタヤ島の外周道路ウートン・ロード沿いに位置しているこの廃墟寺院は、なかなかの住宅地への溶け込みっぷりで見事なチェディーを携えている割には、存在感が乏しいなんとも悲しい遺跡だ


『どげんとせんといかん』


と、その昔ラマ4世さんも思ったのだろう

当時この寺院は彼の号令の元、大規模な修復工事が行われるのであった

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そんなチェディーの周辺には見事に育った菩提樹

ここに仏頭でも挟まっていた日には、あの超絶有名寺院ワット・マハタートの如く人々が行きかう遺跡になったのに・・

ま、そんな簡単にあの奇跡の光景は生まれないって事ですかね
( ̄ー ̄)

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さて冒頭のモン族のお二人のお話

プラヤー・キアット(PhrayaKiat)とプラヤー・ラム(PhrayaRam)という名前の2人のモン族貴族

当時のアユタヤはまだビルマとの本格的な戦争に入る前

そんな中アユタヤの父『ナーレスアン王』とビルマの『ホンサワディ王』は共にこの付近を進軍していた

ある日野営をしていた中、ホンサワディ王はナーレスアン王を裏切り暗殺計画を企て、1万人にも上る軍隊を待機させ奇襲を行う計画を立て始めたという

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その奇襲計画にプラヤー・キアットとプラヤー・ラムも参加させられる

後方よりナーレスアン軍を攻撃し、彼を捉え処刑せよとの命令であった

が、奇襲作戦に気付いたグレートホーリー・テラカーンチョンという偉いお坊様に説得され命令を無視

結果、この奇襲作戦は未遂に終わったのだと言う


その功績はマハタマラーチャ王に多大な感銘を与え、またナーレスアン王にもアユタヤ独立のきっかけを与える結果となった

その後2人のモン族貴族はこの寺院の脇に住み、僧侶として寺院に仕えるようになったのだという

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なんて聞くと何気に歴史深い寺院ですな

そんなこともありラマ4さんによる大規模修復計画にもつながったようだ


なんと工事途中でラマ4さんは崩御


チェディーをもっと大きくしなさい

という彼の依頼は途中で中断され、土台外壁が途中まで盛られた状態の放棄チェディーが残る珍しい遺跡になってしまったのである

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尚、今回の影の立役者テラカーンチョンさんは、その後ワット・ノックというお寺さんにお仕え遊ばされていた模様

ここより近いのでよろしければそちらにもお寄りくださいませ
m(*_ _)m










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( ・`ー・´) + キリッ





その他&すべての写真はこちらより
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TEMPLE DATA

WAT KHUNSAN
วัดขุนแสน

参拝時間 : 24時間
参拝料金 : 無料
電話   : 誰もいません
H.P.    :




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