住宅街に溶け込むチェディーは公園に



タイの歴史においての各王朝の構造物と言えばそのほとんどがレンガ製であった

主に木が使用されていた日本とは違い、腐食による崩壊が少ないのもあってか、現代でもここのように古の構造物が残っている事が多い

それが突如として街角にポツンと存在しているのが面白いところ

僕はこれを『街角チェディー』と呼び、将来これにまつわるYou Tuberになろうかな、と思っているくらい興味の対象としている

では今日も将来の為に動画を撮りに行くとしよう
タイトルはそうだな・・

『放置プレイ?チェディーと一緒に街角にポツンとしてみた』でいってみようか
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

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とそんな誰も見ない動画を作っても仕方がないのでその辺で
(´・ω・`)


この地域はなんとこのチェディの名をとってチェディハク地区という住所になっている
トヨタ自動車の本社があるところが『トヨタ町』になっているのと同じだね
.。゚+.(・∀・)゚+.゚
・・違いますね
(´・ω・`)

以前は「ムアンザット」と呼ばれていたが、ビルマとの戦争により北部方面から疎開されて来た方が主な住民なのだとか

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このチェディの正式名称は「ワット・ジェティヤラム」
なのだが一部が崩れているこのチェディを人々は壊れたチェディー、チェディハック(ハック หัก = 破壊された)と呼んでいる 流石に破壊された・・なんて名は縁起が悪いので、改名しようとジェティヤラムと改名したのだが浸透しなかった模様
今、高速道路で使われているETCは実は『イーテック』と読むのに、浸透しなかったのと同じだね
.。゚+.(・∀・)゚+.゚
・・違いますね (´・ω・`)
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レンガとラテライトで構成されていて、当時は漆喰で装飾がされていたと見られている
1階のベースの八角形土台はかなり大きく上部を支えていたが、1937 年老朽化により上部が崩れてしまったという


昔の雄姿も是非拝観したいもの

それなりに今以上に美しかったことでしょう
(′∀`)
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正確にはいつ建てられたのかは分かっていないこのチェディ

が、

外観がワットプラケオの「ムアンサンスタイル」として知られているチェディのグループに似ている事
使用されているレンガが古代ドヴァーラヴァティー時代に一般的に使われたものと酷似している事

などから少なくともドヴァーラヴァティー時代には存在していたチェディであると結論付けられた またその後の1893年の調査にてアユタヤ王朝時に流行った赤い砂岩の仏像が見つかり、アユタヤ王朝に一度改修されていると推測されている


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街角にポツンとあるチェディーにも、調べてみるといろいろな思い出があるようですな

だからこそこうした遺跡は面白いんですよねー

もしかしたらこの界隈の住民でも知らないかもしれないこの史実


是非教えてあげたいなー

でも言語学上教える事は不可能なんですよねー
( ;∀;)









その他&すべての写真はこちらより
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TEMPLE DATA

Wat Chedi Hak เจดีย์หัก

参拝時間 : お好きな時に
参拝料金 : 無料
電話   : 誰もいません
H.P.    : -





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