ガイドブックには出ていない戦争跡地がそこにある
パークナム事件とはおよそ120年前フランス軍が、当時のタイ王国の領有をせまった事件
チャオプラヤ川の河口がその戦いの舞台となった為、パークナム(タイ語で河口を意味する)事件と呼ばれるようになった模様
ここはそんな戦争の跡が残る数少ない施設の一つ
だがここの紹介はあまりメジャーどころの媒体ではされていないようだ

地図上で見るとぽっかり浮かんだ島がこの要塞になっている
船などでも向かうことは出来そうだが、行ってみた所上陸用の橋がちゃんと整備されていた
歩いて行けるなら独歩が成り立つ
まずこのような建物を目指しつつ歩いていくことにしよう
( ´∀`)つ


もともとなんだったのかわからないが、すでに廃墟感のあるこの建物の三階が島へと続く橋への入り口となる
何も無い建物なので果たして登っていいものかどうか・・?
一瞬躊躇するが気にせずずずいと上っていこう
(・∀・)つ


見たところ島へ続く橋はここのみ
人影はまばらでここでも先に進むのが少し躊躇される


渡り終えると気持ちのいい散策道がお出迎え
ここには二パ・ヤシの森がありオオコウモリが何千にも巣くっている
夕暮れには一斉に飛び出す光景が拝めるとの事
ただ夕暮れ時にここへ来ると無事に帰れるか一抹の不安がよぎりそうだ・・
(´・ω・`)



散策道は300m程
木々が日差しを遮ってくれるので昼間でもあまり暑くない
終点には船着き場と案内看板が設置されている
・・が
まったくもって何が書いてあるか分からないし、わかる気もどちらかと言えば無い
.。゚+.(・∀・)゚+.゚



入り口に軍人さんがいるのでノートに名前を書こう
無駄な会話はいりません
ローマ字で名前を書いたならカップと言ってずずいと進めばOKだ
( ・`ー・´) + キリッ


もともとはラマ2世が1819年この地に要塞を建設
チャオプラヤという大河は首都バンコクへ通じており、そこの河口を防衛するのは当然と言える
ということでその後にラマ5世によってこの要塞の近代化が命令されたとのこと


まずは資料館がお出迎え
いろいろ展示品があったが例によって全く分からないので割愛
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


その後廃墟感溢れる施設
どこか哀愁漂うこの廃墟感は大好物だ
その昔は一体何だったんでしょうね・・?



川沿いの要塞の為、見晴らしがいいのは当たり前
昔のスピーカーかな?
似たようなものが何本も設置されている
その昔ここでラジオ体操でもしていたのかしら?



さてこの中央広場の廃墟感がここの見どころの一つ
ゆっくり味わってみましょうか
(●´ω`●)


この要塞感もいい感じ
本当に昔ここでこの中に入り、フランス軍と戦った方達がいらっしゃったのだろう
眼を閉じると当時の声が聞こえてきそうだ・・
(((( ;゚д゚)))




さてもうひとつの見どころ
ミリタリーマニアの方はお待ちかね
リヤローディングガンだ



ラマ5世が命じた近代化に伴い、当時のタイ軍はイギリスのWG Armstrong社より10基のリヤローディングガンを購入した
そのうちの3基がこのPhi Suea Samut Fortに現存するように設置されたようだ


この3基のローディングガンを設置してから、3か月後の1893年7月13日に冒頭のパークナム事件が起きる
その際チャオプラヤ川からバンコクを目指した、フランスの砲艦2隻に対し実際このガンが使用された
が 健闘むなしく砲艦の侵入は阻止出来なかったようだ
(´;ω;`)


実際に使用されたと聞くと、それだけでテンションが上がりますな
もう隠しきれないのでお伝えしますが、僕もミリタリーマニアの一員
この記事を打ち込む指先も震えて仕方がない程だ
まあ、何てことはどうでもいいですね
(≡ω≡.)
タイでは近代戦争が少ないのでこのような場所はそう多くはない
後世に歴史を伝えられる素晴らしい施設だと思うのだが、なぜもっと宣伝しないのかな??
最後に施設の裏手に散策道の別の入り口があり、とても気になるのだが行くと数100mで崩壊しているので行かない方がいいと事前に伝えておきます
(*・ω・)ノ



追随されたいミリタリーマニアの方はお気をつけください
(*・ω・)ノ
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パークナム事件とはおよそ120年前フランス軍が、当時のタイ王国の領有をせまった事件
チャオプラヤ川の河口がその戦いの舞台となった為、パークナム(タイ語で河口を意味する)事件と呼ばれるようになった模様
ここはそんな戦争の跡が残る数少ない施設の一つ
だがここの紹介はあまりメジャーどころの媒体ではされていないようだ

地図上で見るとぽっかり浮かんだ島がこの要塞になっている
船などでも向かうことは出来そうだが、行ってみた所上陸用の橋がちゃんと整備されていた
歩いて行けるなら独歩が成り立つ
まずこのような建物を目指しつつ歩いていくことにしよう
( ´∀`)つ


もともとなんだったのかわからないが、すでに廃墟感のあるこの建物の三階が島へと続く橋への入り口となる
何も無い建物なので果たして登っていいものかどうか・・?
一瞬躊躇するが気にせずずずいと上っていこう
(・∀・)つ


見たところ島へ続く橋はここのみ
人影はまばらでここでも先に進むのが少し躊躇される


渡り終えると気持ちのいい散策道がお出迎え
ここには二パ・ヤシの森がありオオコウモリが何千にも巣くっている
夕暮れには一斉に飛び出す光景が拝めるとの事
ただ夕暮れ時にここへ来ると無事に帰れるか一抹の不安がよぎりそうだ・・
(´・ω・`)



散策道は300m程
木々が日差しを遮ってくれるので昼間でもあまり暑くない
終点には船着き場と案内看板が設置されている
・・が
まったくもって何が書いてあるか分からないし、わかる気もどちらかと言えば無い
.。゚+.(・∀・)゚+.゚



入り口に軍人さんがいるのでノートに名前を書こう
無駄な会話はいりません
ローマ字で名前を書いたならカップと言ってずずいと進めばOKだ
( ・`ー・´) + キリッ


もともとはラマ2世が1819年この地に要塞を建設
チャオプラヤという大河は首都バンコクへ通じており、そこの河口を防衛するのは当然と言える
ということでその後にラマ5世によってこの要塞の近代化が命令されたとのこと


まずは資料館がお出迎え
いろいろ展示品があったが例によって全く分からないので割愛
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


その後廃墟感溢れる施設
どこか哀愁漂うこの廃墟感は大好物だ
その昔は一体何だったんでしょうね・・?



川沿いの要塞の為、見晴らしがいいのは当たり前
昔のスピーカーかな?
似たようなものが何本も設置されている
その昔ここでラジオ体操でもしていたのかしら?



さてこの中央広場の廃墟感がここの見どころの一つ
ゆっくり味わってみましょうか
(●´ω`●)


この要塞感もいい感じ
本当に昔ここでこの中に入り、フランス軍と戦った方達がいらっしゃったのだろう
眼を閉じると当時の声が聞こえてきそうだ・・
(((( ;゚д゚)))




さてもうひとつの見どころ
ミリタリーマニアの方はお待ちかね
リヤローディングガンだ



ラマ5世が命じた近代化に伴い、当時のタイ軍はイギリスのWG Armstrong社より10基のリヤローディングガンを購入した
そのうちの3基がこのPhi Suea Samut Fortに現存するように設置されたようだ


この3基のローディングガンを設置してから、3か月後の1893年7月13日に冒頭のパークナム事件が起きる
その際チャオプラヤ川からバンコクを目指した、フランスの砲艦2隻に対し実際このガンが使用された
が 健闘むなしく砲艦の侵入は阻止出来なかったようだ
(´;ω;`)


実際に使用されたと聞くと、それだけでテンションが上がりますな
もう隠しきれないのでお伝えしますが、僕もミリタリーマニアの一員
この記事を打ち込む指先も震えて仕方がない程だ
まあ、何てことはどうでもいいですね
(≡ω≡.)
タイでは近代戦争が少ないのでこのような場所はそう多くはない
後世に歴史を伝えられる素晴らしい施設だと思うのだが、なぜもっと宣伝しないのかな??
最後に施設の裏手に散策道の別の入り口があり、とても気になるのだが行くと数100mで崩壊しているので行かない方がいいと事前に伝えておきます
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