古代の要塞が見つめる大河の三叉路



Pom Phetと呼ばれるこの砦は、以前アユタヤ島にあった29の砦の中でも最重要施設であった

地図上で見ればよくわかるのだが、この場所はチャオプラヤ、パセック、そしてロッブリー川の合流地点となるので、敵の視点からすればいの一番に目指す箇所

そんな箇所を護る拠点とあっては他の砦より立派になるのも至極当然

が、そんな役目を終えた現在においては、この辺に点在する『放棄された廃墟寺院』のごとく寂し気なレンガ壁と砲台が残るのみとなってしまっている

10-1



ここはアユタヤ島南東部

見ての通りタイを代表する大河、チャオプラヤ川の雄大な流れの脇にここは建っている

確かにここから一気に束になって来られたら、たまったものではないですな

12-1
12-2
12-3


この地域はかつて山田長政も治政で闊歩していた地域

当時のタイは長政のような日本の武闘派武士を傭兵と迎え入れ、彼らの武力を防衛の要としていた


そんな武士たちの集いが、ここよりすぐ下流にあった日本人街

太古の昔、長政がここより大河の流れを見つめていたかと思うと、同じ日本人として感慨深いですな
(*´Д`*)

13-1
13-2
13-3


マハチャカプラド王の治世中に建てられたと考えられているこの砦は、アユタヤ王朝が発足した頃はまだ木製であったとされる
王朝後半期、防衛範囲を川岸に拡大した際に壁はレンガとラテライトで作り変えられ、木製の梁の上に構築されたレンガを使用し底のサポートベースとしたそうな

確かに木製の砲台では心もとないですな
3匹の子ブタでも2番目に吹き飛ばされちゃったしね
(`・ω・´)

14-1
14-2
14-3


擁壁は厚さ14メートルとなり、8つの砲台があったとされる
雰囲気は昔の防空壕の様


切り取った絵だと見ようによっては中世ヨーロッパの世界遺産遺跡にも見えますな
(・∀・)

これは見心地がいいですよ

15-1
15-2
15-3


奥の方には崩れちゃってる砲台跡

防衛最重要拠点と言えども、月日の流れにより無残な姿になっちゃうものなのね・・
(´;ω;`)


他の遺跡同様ビルマ軍にやられた・・

・・と思いきや、実はこれはアユタヤ王朝崩壊後ラマ1世における新首都築造時、建築材料として持っていかれちゃった跡
若干残っているのは構造上壊すのが大変だったからという


まさかの身内に崩されたのね
かわいそうに・・
(ノд・。) グスン


16-1
16-2
16-3


夕暮れ時になると沈む夕日に引き寄せられて、どこからともなくカップルが湧き出る砦遺跡
(゚д゚)、ペッ


独りで行くとかなりむなしくなるので、早めの時間の見学をお勧めします








えっ
カップルで行くから問題ないですって?!

( ・Д・)・・・



TEMPLE DATA

POM PHET
ป้อมเพชร

参拝時間 : 防衛したくなったら
参拝料金 : 無料
電話   : 誰もいません
H.P.    : -





▼ブログ村のランキング参加中です
 ここをポチっと押して頂けるとすごくうれしいです♬
↓ ↓ ↓
にほんブログ村 海外生活ブログ タイ情報へ
にほんブログ村


▼かかしさんって誰?という方
 インスタグラムではたまに顔出ししてたりして♡

Instagram フォローしちゃいます?.。゚+.(・∀・)゚+.゚


▼You Tube チャンネルもあったりして
 登録するといい事あるかも ヾ(〃^∇^)ノ♪



スポンサードリンク