カンチャナブリの旧市街、栄えた都市はビルマ軍に・・



ここカンチャナブリ県ラットヤー地区はアユタヤ王朝時においての中心街であり、ビルマ軍との戦争時には彼らの重要な前哨基地であった ビルマ(現ミャンマー)に隣接するこの県は戦時の軍事ルートであると同時に、ビルマに渡ったインド文明がタイに入ったルートでもあったと言う そんなことで栄えたこの地も、時代と共に繁華街が現在のカンチャナブリ市に移ってしまった事で衰退の一歩を辿ることになる 衰退した都市には何が残るのだろうか? そうそこには『放棄された廃墟寺院』が佇む結果となるのである

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アユタヤにおいてこの手の遺跡は『かかし』と名乗る変態ブロガーさんによって、シリーズで紹介されているという

だがここはカンチャナブリ

アユタヤ程歴史が深いわけでもなく、且つ世界遺産でもなんでもないこの地の遺跡を紹介するのは、彼に匹敵する程の変態行為


誰も望まない情報だとしても【人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物

100万人にひとりぐらい気に入る方がいるかもしれない
(・∀・)つ

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Σ(・ω・ノ)ノ
よく考えたら100万どころか100人も読まないかもしれないこの記事


この際人の評価など気にせず行きましょう!
(′∀`)


と言う事でこの遺跡は放棄寺院ではあるが、現在では僧侶が修行する修道院の一部と言う形となっている

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寺院は意外と広大

というより林の中にあるのでいまいちどこまでが寺院なのか、よく分からないのが実情

ぐるっと回るとなかなかの体力を要する広さだ
(≡ω≡.)

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ここはワット・パーレライ
まるで放棄寺院専門誌のロゴマークにでもなっていそうなビジュアルを持つこの寺院は、3つの遺跡が並ぶ廃墟寺院 その昔はワット・ファーノックと呼ばれていたようだが、1974年寺院が放棄より解放され整備されると同時に改名された

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この廃墟寺院でまず目を引くのはレンガ製のモントップ
幅7.6m、高さ6.6mの正方形土台の建屋には漆喰の仏像が建っていたのだが、戦争時胸に杭が突き刺さり一時無残なお姿になっていたと言う それを見かねた村人たちの手によって現在のお姿に復元されたとのこと

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さてと全体はこんな感じ


その後ろには幅7m、長さ20m、高さ3mの長方形のレンガ造りの寺院跡
これまた超絶趣あふれるいで立ちだ

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最後部にはレンガで作られた円形の仏塔
幅5m、高さ1.5mの正方形土台の上に建つ仏塔跡はレンガ組積造りで、残りの高さは約7.5mとなる


円形の仏塔はアユタヤ後期のスタイル

ここにもアユタヤ王朝文化の影響が仄かにあるみたいっすね
(`・ω・´)

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この先にはさらに旧市街の広大な敷地に、複数の遺跡がちりばる遺跡公園が広がる

カンチャナブリと言えば泰麺鉄道が有名であるが、たまにはこのような遺跡に触れるのもまた一興ですな
(*・ω・)ノ









TEMPLE DATA

Wat Pa Lelai
วัดป่าเลไลย์

参拝時間 : 24時間営業
参拝料金 : 無休
電話   : 誰もいません
H.P.    : -





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