タイで噂の恐怖の場所をお遍路します!
ผี ピー:幽霊
この世に未練を残してお亡くなりになられた方のこの世への執念の具現化
タイでは日本以上にこの存在を意識しているようで、至る所にある祠や仏像がその存在を打ち消すと信じられている
日本ではそのようないわゆる心霊スポットは霊道に象徴されるように、風水的な感覚が加味される傾向にあるが、タイにおけるその手のスポットは過去に ”何か” があった場所が大半を占めるようだ
是非タイの幽霊に会ってみたい!
恨み節は国境を越えるか?
この目で確かめに行くとしよう!
今回は心霊系タイ人ブロガーさんがピックアップしているスポットを抽出していますが、個人的見解を避けるため、複数の方がアップしている箇所に限定し突撃しています
尚、自称霊感が強い方は決してマネしないようお願い申し上げます
m(__)m
およそ40年前、ラムカムヘンソイ32の奥深くに美しいヨーロッパ風の建物が建っていた
庭には大きなブドウの樹が植えられ、周りも果樹園が広がる静かで落ち着いた家屋であった
お住まいになられていたのは日本人
優雅で大きな家屋に象徴されるように裕福であったこの方は、この家に家政婦をおいていたという
ある日オーナーは一時帰国をするために1週間程家を空けることになる
その間家政婦がこの家を護ることなるのだが、それが彼女にとって悪夢の始まりとなった
当時のタイでは洋風の豪邸は相当目立つ存在
また主のいない家屋は悪しき者たちの格好の標的になって然り
侵入した盗賊により、留守を護る彼女は殺害されてしまうのである
地下室に放置された彼女の ”なれの果て” は、帰国した主にも発見される事なく数日が過ぎてしまう
腐敗が進む彼女はその "匂い" で主に自身の存在を知らせたという
この事件の後、いるはずのない彼女の姿や声を感じる周辺住民が続出
増殖する近隣の悪寒の目に耐え兼ね、ついに日本人オーナーはこの豪邸を放棄する事となる
主を失った家屋はその後崩壊を進め、その廃墟感と殺人事件という強烈な史実がここを心霊スポット化してしまうのであった
現在ではこのスペイン館は取り壊されその姿は存在しない
だがここで『何かが起きた』という不気味な雰囲気は今も尚、語り継がれている
肝試ししたい方向け
このポイントの少し北側の位置になります
尚、このスペイン館の物語は諸説あり住民は欧米人であったという説もあるようです
ここには交通事故により残骸となった車両の一時保管場所
交通事故は時に甚大な結果をもたらす事も多く、当然人命が絡むものも少なくない
とすればここに置かれるいくつかの車は、動く”殺人現場”になっていると言えるかもしれない
事実この車の墓場は時に周囲に不可解な現象を提供している
鳴りやまないクラクション、闇夜を照らすライト、不気味に響くアイドリング音
誰も乗っていない車は通常ではあり得ない自己主張をし続ける
主を無くした自身もいずれ死=解体が訪れると悟ったのだろうか?
不可解な現象は彼らの最期の叫びなのかもしれない
またこの墓場の前には夜な夜なヒッチハイクをする人影もあり
乗せようとした車は皆、目の前で忽然と消える彼を目の当たりにすることだろう
昼間は賑やかなソイ・ラムイントラ5
しかしながら夜にあえてこの通りを通るものは少ないという
事故死の惨劇を肌で感じたくなっちゃった方に
1986年に始まったパトゥムタニ県ムアンエク地区の開発
綺麗に整備された周遊道にゴルフ場や学校、高級住宅が立ち並ぶ誰もがうらやむ住宅街になる
・・はずであった
1997年の通貨危機により計画に陰りが見え始め、2011年の大洪水によりこのコミュティーは壊滅的なダメージを受けてしまう
そこから住宅街は次々と廃墟化、貸出しや販売も出来ない家屋はオーナーの首を絞める形となり、文字通りこの廃墟群で複数の方が首を吊ることになる
その後廃墟は心霊スポット化
それが現在でも買い手がつかず、ますます崩壊の一途を辿る負の連鎖をこの地区に生んでいるのである
となりにあるランシット大学生にとって、廃墟の村は格好の肝試しポイント
夜な夜なはしゃぐ若者の姿がこの界隈で時折見られる
が、彼らの中には想像を絶する恐怖体験をした者も多いようであるが、これ以上この地区の風評を下げる事を防ぎたい家屋のオーナーたちにより口封じがされていると言う
尚、どのような方法で口封じされているかは知る由もない・・
1973年10月14日いわゆる血の日曜日事件で、失脚した当時のタノーム首相は国外に亡命した
だがその後1976年9月、どうしてもタイに戻りたかった元首相は、タイ政府の反対を押し切り、出家という形で強引に帰国をすることになる
1976年10月4日、これに異を唱えた一部の労働者や学生たち約1万人がタマサート大学のサッカー場にて抗議活動を展開
活動は翌々日の6日まで続き、ついには国境警備隊及び首都警察により制圧が行われ、やがてそれは銃撃戦に発展していった
犠牲者46人、負傷者167人を出したこの一連の抗議活動は後に『血の水曜日事件』と呼ばれる事となる
その中で銃撃を避けエレベーターに逃げ込んだ学生の一団に対し、警察が容赦なく発砲するという事件が発生する
エレベーターは彼らの血で染まり、その血痕はその後どうやっても消すことが出来なかったという
消えない染みはエレベーターを赤く塗る事で隠される
後にこのエレベーターを利用すると首が締まる感じがするとか、新たな血がついているのが見えるとか、独りなのに他人の気配を感じる、など不思議な何かを感じる者たちが続出
そしていつしかここは
『リフト・ディン / 赤いエレベーター』
という不吉な名前で呼ばれるようになったと言う
そんな噂の広がりと老朽化が重なり、大学はこのエレベーターの撤去を決定
ただしその扉はここで起きた惨劇を後世に残すべく、今もタマサート大学校舎の階段踊り場に安置されている
が、今ではその不気味に置かれる扉の意味を知る者も少なくなってきているという
尚、この事件は
『มหาลัยสยองขวัญ / Haunted Universities』
という題名で映画にもなっている
※このエレベーターの場所を知りたくなった心霊研究家の方は、是非コメントでお知らせください
正直に言います
僕はこの手の心霊的なモノを全く持って信じていません
.。゚+.(・∀・)゚+.゚
しかもここは異国
彼らの魂の叫びは言語が違う僕には届かないので、僕の前に姿を現す必要もないでしょう
今回取材の為ここ以外にも色々と周りましたが、全く持って健康そのもの
懸念していた頭痛や肩こり、幻聴や幻覚も何一つ現れてはいません・・
・・今のところはネ
( ̄ー ̄)ニヤリ
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ผี ピー:幽霊
この世に未練を残してお亡くなりになられた方のこの世への執念の具現化
タイでは日本以上にこの存在を意識しているようで、至る所にある祠や仏像がその存在を打ち消すと信じられている
日本ではそのようないわゆる心霊スポットは霊道に象徴されるように、風水的な感覚が加味される傾向にあるが、タイにおけるその手のスポットは過去に ”何か” があった場所が大半を占めるようだ
是非タイの幽霊に会ってみたい!
恨み節は国境を越えるか?
この目で確かめに行くとしよう!
今回は心霊系タイ人ブロガーさんがピックアップしているスポットを抽出していますが、個人的見解を避けるため、複数の方がアップしている箇所に限定し突撃しています
尚、自称霊感が強い方は決してマネしないようお願い申し上げます
m(__)m
惨劇の洋館 スペイン館の戦慄
およそ40年前、ラムカムヘンソイ32の奥深くに美しいヨーロッパ風の建物が建っていた
庭には大きなブドウの樹が植えられ、周りも果樹園が広がる静かで落ち着いた家屋であった
お住まいになられていたのは日本人
優雅で大きな家屋に象徴されるように裕福であったこの方は、この家に家政婦をおいていたという
ある日オーナーは一時帰国をするために1週間程家を空けることになる
その間家政婦がこの家を護ることなるのだが、それが彼女にとって悪夢の始まりとなった
当時のタイでは洋風の豪邸は相当目立つ存在
また主のいない家屋は悪しき者たちの格好の標的になって然り
侵入した盗賊により、留守を護る彼女は殺害されてしまうのである
地下室に放置された彼女の ”なれの果て” は、帰国した主にも発見される事なく数日が過ぎてしまう
腐敗が進む彼女はその "匂い" で主に自身の存在を知らせたという
この事件の後、いるはずのない彼女の姿や声を感じる周辺住民が続出
増殖する近隣の悪寒の目に耐え兼ね、ついに日本人オーナーはこの豪邸を放棄する事となる
主を失った家屋はその後崩壊を進め、その廃墟感と殺人事件という強烈な史実がここを心霊スポット化してしまうのであった
現在ではこのスペイン館は取り壊されその姿は存在しない
だがここで『何かが起きた』という不気味な雰囲気は今も尚、語り継がれている
肝試ししたい方向け
このポイントの少し北側の位置になります
尚、このスペイン館の物語は諸説あり住民は欧米人であったという説もあるようです
動く棺桶 サイユッド自動車墓地
ここには交通事故により残骸となった車両の一時保管場所
交通事故は時に甚大な結果をもたらす事も多く、当然人命が絡むものも少なくない
とすればここに置かれるいくつかの車は、動く”殺人現場”になっていると言えるかもしれない
事実この車の墓場は時に周囲に不可解な現象を提供している
鳴りやまないクラクション、闇夜を照らすライト、不気味に響くアイドリング音
誰も乗っていない車は通常ではあり得ない自己主張をし続ける
主を無くした自身もいずれ死=解体が訪れると悟ったのだろうか?
不可解な現象は彼らの最期の叫びなのかもしれない
またこの墓場の前には夜な夜なヒッチハイクをする人影もあり
乗せようとした車は皆、目の前で忽然と消える彼を目の当たりにすることだろう
昼間は賑やかなソイ・ラムイントラ5
しかしながら夜にあえてこの通りを通るものは少ないという
事故死の惨劇を肌で感じたくなっちゃった方に
廃墟都市 ムアンエク村
1986年に始まったパトゥムタニ県ムアンエク地区の開発
綺麗に整備された周遊道にゴルフ場や学校、高級住宅が立ち並ぶ誰もがうらやむ住宅街になる
・・はずであった
1997年の通貨危機により計画に陰りが見え始め、2011年の大洪水によりこのコミュティーは壊滅的なダメージを受けてしまう
そこから住宅街は次々と廃墟化、貸出しや販売も出来ない家屋はオーナーの首を絞める形となり、文字通りこの廃墟群で複数の方が首を吊ることになる
その後廃墟は心霊スポット化
それが現在でも買い手がつかず、ますます崩壊の一途を辿る負の連鎖をこの地区に生んでいるのである
となりにあるランシット大学生にとって、廃墟の村は格好の肝試しポイント
夜な夜なはしゃぐ若者の姿がこの界隈で時折見られる
が、彼らの中には想像を絶する恐怖体験をした者も多いようであるが、これ以上この地区の風評を下げる事を防ぎたい家屋のオーナーたちにより口封じがされていると言う
尚、どのような方法で口封じされているかは知る由もない・・
大量惨殺 戦慄の赤エレベーター
1973年10月14日いわゆる血の日曜日事件で、失脚した当時のタノーム首相は国外に亡命した
だがその後1976年9月、どうしてもタイに戻りたかった元首相は、タイ政府の反対を押し切り、出家という形で強引に帰国をすることになる
1976年10月4日、これに異を唱えた一部の労働者や学生たち約1万人がタマサート大学のサッカー場にて抗議活動を展開
活動は翌々日の6日まで続き、ついには国境警備隊及び首都警察により制圧が行われ、やがてそれは銃撃戦に発展していった
犠牲者46人、負傷者167人を出したこの一連の抗議活動は後に『血の水曜日事件』と呼ばれる事となる
その中で銃撃を避けエレベーターに逃げ込んだ学生の一団に対し、警察が容赦なく発砲するという事件が発生する
エレベーターは彼らの血で染まり、その血痕はその後どうやっても消すことが出来なかったという
消えない染みはエレベーターを赤く塗る事で隠される
後にこのエレベーターを利用すると首が締まる感じがするとか、新たな血がついているのが見えるとか、独りなのに他人の気配を感じる、など不思議な何かを感じる者たちが続出
そしていつしかここは
『リフト・ディン / 赤いエレベーター』
という不吉な名前で呼ばれるようになったと言う
そんな噂の広がりと老朽化が重なり、大学はこのエレベーターの撤去を決定
ただしその扉はここで起きた惨劇を後世に残すべく、今もタマサート大学校舎の階段踊り場に安置されている
が、今ではその不気味に置かれる扉の意味を知る者も少なくなってきているという
尚、この事件は
『มหาลัยสยองขวัญ / Haunted Universities』
という題名で映画にもなっている
※このエレベーターの場所を知りたくなった心霊研究家の方は、是非コメントでお知らせください
まとめ
正直に言います
僕はこの手の心霊的なモノを全く持って信じていません
.。゚+.(・∀・)゚+.゚
しかもここは異国
彼らの魂の叫びは言語が違う僕には届かないので、僕の前に姿を現す必要もないでしょう
今回取材の為ここ以外にも色々と周りましたが、全く持って健康そのもの
懸念していた頭痛や肩こり、幻聴や幻覚も何一つ現れてはいません・・
・・今のところはネ
( ̄ー ̄)ニヤリ
他にもこんなスポットも♡
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