枕木1本死者1名、恐怖の鉄道をよく知ろう
泰麺鉄道
太平洋戦争時タイからビルマへ物資と兵力を運ぶために作られた鉄道
通常であれば5年はかかる鉄道建設を、当時の戦況化もあり急を要する背景から、なんと1年で完成させた驚愕の鉄道路線だ
その異常までの短工期は大多数の労働者の尽力のたまもの
但しその労働者たちの多くはその鉄道の完成を見ることなく、過酷な作業に命を落とすことになる
その犠牲者は10万人とも言われ、その数はこの鉄道で使用された枕木の数に匹敵する人数であったという
この事実はこの路線の正式名称『Thai-Burma Railway』 の名を霞ませ、『Death Railway』の名を先行させてしまう程の強烈な史実として語り継がれいる
その歴史を過去に残すべく、ここカンチャナブリにはその『死の鉄道』関連の歴史館が複数存在する
その中でも一番古いこの博物館
チャイ・チャナ・ソンクラーム寺院の一角にひっそりと存在している
博物館名はJEATH博物館
鉄道建設に絡んだ各国の頭文字をとった造語である
当初 DEATH 博物館という案も出たようだが、流石になまなましすぎるとして却下されたと言う
お寺さんにあるという事で、実はここはそこの住職が私的に建てた博物館
竹製小屋の中に当時の写真や絵画、建設に使用された道具等泰麺鉄道に関わる展示が並んでいる
尚、この竹製の小屋は当時の作業員宿舎を模したもの
このような小屋ですし詰めにされ、衛生状態も良くない中作業員は暮らしていたと言う
まず始めの小屋には主に写真や絵画がずらりと並ぶ
写真には日本語付きのものもあり、その背景も比較的分かりやすくはなっていた
写真に映る方々は皆やせ衰え、笑顔の者はほとんどいない
過密な労働環境は感染病の蔓延も引き起こし、薬品と栄養の不足から多くの方が命を落とした
このような竹製の小屋からは常に労働者のうめき声が聞こえていたと言う
コの字型の展示室を抜けると、そこには日本語の『世界平和の塔』と永瀬隆氏の像がたっている
この永瀬氏は当時の陸軍通訳の方で、戦後日本とタイを行き来し泰麺鉄道建設の犠牲者の慰霊活動をされていた方
氏はクワイ河平和寺院の建立やクワイ河平和基金を立ち上げ、タイの青少年たちの奨学金にあてていたという
そんな活動が賞されカンチャナブリ県の名誉県民であった彼は、日本人でも知らない隠れた功労者のひとりとなっている
さてそんな彼を知った後は、第2セクションへ
ここは当時の残像物が数多く展示されている
当然戦争関係であるため武器類や火器類が多く若干物騒なモノとなるが、これも戦争の史実のひとつなのでよく見ておこう
学校の歴史でもここでの鉄道建設の話はあまり聞いたことが無い
日本軍がここタイで戦いでなく鉄道建設で多くの人命を奪ったことは、まぎれもない事実
これは同じ国民として二度と同じ過ちを起こさぬよう、このような展示をみて改めて肝に銘じなければならないでしょう
しかしなぜタイ王国は謝罪と賠償を要求してこないのかしら・・?
いや
未だにそんなことを言ってくる方がおかしいのか・・
この博物館の入り口にあるセンテンス
『Forgive but not Forget』
許そう、しかし忘れない
過去の反省を生かし未来につなげる素晴らしい言葉
いつまでも過去にこだわる方々に、是非聞かせてあげたい言葉ですな
尚、ここと同じ名前で且つもっと大きな博物館が、まさに戦場に架ける橋のクウェー河陸橋入り口にあります
その為、こちらはすっかり注目されなくなってしまいました
少し分かりづらい位置になるのもその要因のひとつですな
という事で地図を貼っておきますので、カンチャナブリに来られた際は是非お立ち寄りを
泰麺鉄道関係はどうしてもしんみり記事を書いちゃいますね
その他&すべての写真はこちらより
↓ ↓ ↓
泰麺鉄道についてもっと詳しく
↓ ↓ ↓
SHOP DATA
The JEATH War Museum
営業時間 :
定休日 :
電話 : +66657611219
H.P. : -
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泰麺鉄道
太平洋戦争時タイからビルマへ物資と兵力を運ぶために作られた鉄道
通常であれば5年はかかる鉄道建設を、当時の戦況化もあり急を要する背景から、なんと1年で完成させた驚愕の鉄道路線だ
その異常までの短工期は大多数の労働者の尽力のたまもの
但しその労働者たちの多くはその鉄道の完成を見ることなく、過酷な作業に命を落とすことになる
その犠牲者は10万人とも言われ、その数はこの鉄道で使用された枕木の数に匹敵する人数であったという
この事実はこの路線の正式名称『Thai-Burma Railway』 の名を霞ませ、『Death Railway』の名を先行させてしまう程の強烈な史実として語り継がれいる
その歴史を過去に残すべく、ここカンチャナブリにはその『死の鉄道』関連の歴史館が複数存在する
その中でも一番古いこの博物館
チャイ・チャナ・ソンクラーム寺院の一角にひっそりと存在している
博物館名はJEATH博物館
鉄道建設に絡んだ各国の頭文字をとった造語である
当初 DEATH 博物館という案も出たようだが、流石になまなましすぎるとして却下されたと言う
Japan : 日本
England : イギリス
America : アメリカ
Thailand : タイ
Holland : オランダ
尚、入場料は50THB
だが何気に寺院裏手から普通には入れてしまうと言う、いかにもタイらしい緩さの施設となっている
尚、入場料は50THB
だが何気に寺院裏手から普通には入れてしまうと言う、いかにもタイらしい緩さの施設となっている
お寺さんにあるという事で、実はここはそこの住職が私的に建てた博物館
竹製小屋の中に当時の写真や絵画、建設に使用された道具等泰麺鉄道に関わる展示が並んでいる
尚、この竹製の小屋は当時の作業員宿舎を模したもの
このような小屋ですし詰めにされ、衛生状態も良くない中作業員は暮らしていたと言う
まず始めの小屋には主に写真や絵画がずらりと並ぶ
写真には日本語付きのものもあり、その背景も比較的分かりやすくはなっていた
写真に映る方々は皆やせ衰え、笑顔の者はほとんどいない
過密な労働環境は感染病の蔓延も引き起こし、薬品と栄養の不足から多くの方が命を落とした
このような竹製の小屋からは常に労働者のうめき声が聞こえていたと言う
コの字型の展示室を抜けると、そこには日本語の『世界平和の塔』と永瀬隆氏の像がたっている
この永瀬氏は当時の陸軍通訳の方で、戦後日本とタイを行き来し泰麺鉄道建設の犠牲者の慰霊活動をされていた方
氏はクワイ河平和寺院の建立やクワイ河平和基金を立ち上げ、タイの青少年たちの奨学金にあてていたという
そんな活動が賞されカンチャナブリ県の名誉県民であった彼は、日本人でも知らない隠れた功労者のひとりとなっている
さてそんな彼を知った後は、第2セクションへ
ここは当時の残像物が数多く展示されている
当然戦争関係であるため武器類や火器類が多く若干物騒なモノとなるが、これも戦争の史実のひとつなのでよく見ておこう
学校の歴史でもここでの鉄道建設の話はあまり聞いたことが無い
日本軍がここタイで戦いでなく鉄道建設で多くの人命を奪ったことは、まぎれもない事実
これは同じ国民として二度と同じ過ちを起こさぬよう、このような展示をみて改めて肝に銘じなければならないでしょう
しかしなぜタイ王国は謝罪と賠償を要求してこないのかしら・・?
いや
未だにそんなことを言ってくる方がおかしいのか・・
この博物館の入り口にあるセンテンス
『Forgive but not Forget』
許そう、しかし忘れない
過去の反省を生かし未来につなげる素晴らしい言葉
いつまでも過去にこだわる方々に、是非聞かせてあげたい言葉ですな
尚、ここと同じ名前で且つもっと大きな博物館が、まさに戦場に架ける橋のクウェー河陸橋入り口にあります
その為、こちらはすっかり注目されなくなってしまいました
少し分かりづらい位置になるのもその要因のひとつですな
という事で地図を貼っておきますので、カンチャナブリに来られた際は是非お立ち寄りを
泰麺鉄道関係はどうしてもしんみり記事を書いちゃいますね
その他&すべての写真はこちらより
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泰麺鉄道についてもっと詳しく
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The JEATH War Museum
営業時間 :
定休日 :
電話 : +66657611219
H.P. : -
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死人の数が多いですがそれらの大半はコレラなど伝染病で亡くなった方が多いのと建設時に発生した洪水に巻き込まれた等の記述があり、過酷な労働によって多くの捕虜がと表現されているのは偽りで労働にあたっての賃金が支払われたとの記録も残っています。
戦場にかける橋のモデルになっている現在のクェー川鉄橋は観光用に作られたもので当時の橋は映画にあったような木製。そして本来の場所は現在の鉄橋から200km以上 北。サンクラブリー郡ミャンマーとの国境近くにあるスリー・パゴタ・パス付近の木造の橋で有名なモーンブリッジのあるソーンカリア村でコンクリートの橋脚跡と木製の端の1部が発見されています。
泰緬鉄道の建設では連合軍側からかなりの屈折した内容が伝えられていますが、勝利した連合軍が「善」で負けた日本が「悪」と言う表現なんでしょう。 これは、実際労働に携わった連合軍の捕虜何名もの手記にあった事で事実をかなり曲げて伝えられていることがわかります。