このあたりの歴史をつなげよう



アユタヤ島でも比較的中心部にあるこの遺跡

ココの隣にはワット・ラーチャブーラナワット・マハタートと言った超絶観光寺院があるのだが、ここは対照的に誰もない放棄寺院になってしまっている

2つのチェディと建物壁が残り、比較的残存遺物が多いのにこの差はなんでしょうね?

だがこの悲壮感が僕の様な『放棄ジニリスト:放棄寺院を愛して止まない漢の総称』の血を沸かせ肉を躍らせる

さて今日も放棄された廃墟寺院を堪能するとしましょうかね


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実はここの前の道はアユタヤ島一番の南北道路

まさにメイン通りといっても過言ではない通り沿いにこの遺跡は存在している

なのでアユタヤへ行かれたことがある方なら、ここの前は通った事があるかもしれない

が、ここの存在に気付く方はごく稀であると思われる
(´・ω・`)

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ここも建立についての文献は残っていないので、いつ誰によって建てられたかは不明

が、アユタヤの歴史書においてその名前の記載があることから、アユタヤ王朝初期の頃にはすでに存在していたと推測されている

遺跡の正面にはと特徴的な神殿跡

東向きの入口はアユタヤの特徴で、2つの入口は王朝中期に流行ったスタイルらしい

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ここでここの歴史を少々

王朝初期に兄弟による権力争いが起こった
その一方のチャオアイプラヤー王子はここを拠点に兄と戦う事になる

最終的にその戦いは相打ちという形で終わり、3番目の弟ボロムラーチャ2世が漁夫の利で王座に就くことになった

その兄弟の弔いとしてボロムラーチャ2世が建てたのが隣にあるワット・ラーチャブラーナだという

こういう歴史を知っていると、ここの並びも紐解けてアユタヤ観光が一層楽しめますな
(′∀`)


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全体をくるっとみてみましょう


さて大チェディーの横には形が異なる小チェディ

こんな至近で丸形、八角型が並ぶのも珍しい感じ

丸形型はアユタヤ初期、八角は後期に流行った形という事でこの寺院が初期から後期まで存在し、何度か拡張を繰り返していたと推測がされる

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神殿土台跡地と共にくつろぐ地元民のお姿

アユタヤにおけるこの手の風景はもはや日常

どんな歴史がここにあろうと、現在を生きる地元住民にとってはここはただの公園なのね

日本なら前方後円墳の前でピクニック

むむ
意外に高尚な過ごし方かもですな
( ̄ー ̄)ニヤリ

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尚、先程の相打ち兄弟は共にあの木の根仏頭で超有名なワット・マハタートで荼毘に付されたといいます

これでこの地域の遺跡が繋がりましたネ



( ´_ゝ`)フッ
だからといって観光時にどや顔で言っても、3へぇ程度しか得られないでしょうけどね










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アユタヤに行かれる予定のある方は是非チェックを!!
( ・`ー・´) + キリッ





その他&すべての写真はこちらより
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TEMPLE DATA

WAT PLUB PLA CHAI
วัดพลับพลาไชย

参拝時間 : 常住坐臥
参拝料金 : 無料
電話   : 誰もいません
H.P.    : 




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