ラックムアン หลักเมืองをお遍路しよう!


ラックムアン หลักเมือง

タイの県庁所在地や主要都市で見られる『柱』や『神々』になります

チャオポー・ラックムアン เจ้าพ่อหลักเมืองという土地の神様を祀るもので、通常サーンチャオ ศาลเจ้าと呼ばれる社の中に建っています

重要な都市を作る際に建立される風習で、始まりはラーマ1世がトンブリから今のワット・プラケオのあたりへ遷都した時が始まりと言われています

都市の最初に建立される場合が多いため、その社は一線を画す豪華な場所が多くどの都市もなかなかの見応え

また中華風の文化を取り入れている都市もあり、その土地土地で多様なスタイルを見る事が出来ます


”多様なスタイル” を僕がお遍路しない訳がありません
( ・`ー・´) + キリッ

という訳で今回も『バンコク半径2時間制覇シリーズ』

バンコク半径2時間以内のラックムアンを制覇してみましたので、順にご紹介していきましょう!

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さて今回はバンコクより西側にある6県

これまたどこもバンコクより車で2時間圏内でございます

この界隈もその昔王朝が栄えていたこともあって、地域によって多様な文化がある場所ですね

という訳で順に見ていきましょう

ではレッツゴー!
(´∀`○)イッテミヨーーー!! 







 13 アユタヤ県


象に乗って世界遺産を回れる『エレファント・キャンプ』前にあります

1350年5月の金曜日、ウートン王により設立されたアユタヤ王朝
バラモン教の教えに影響され、その時ラックムアンが建てられました

が、その柱はビルマ軍の攻撃によりほぼ崩壊

その後トンブリに王朝が移った後も修復されることなく、ラックムアンはそのまま放棄されてしまいます

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『今どきラックムアンも無いような都市は、市民に申し訳ないずら』

と県知事が思ったのかどうかは分かりませんが、ラッタナコーシン200周年を迎えた1982年、この純白のラックムアン社は建設されました

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1984年8月9日木曜日の午前7時にチトララーダ宮殿でラマ9世さん(プミポン前国王)によりラックムアンに聖なる油が注がれ、同年10月31日水曜日にここに柱が建立されます

ここのスタイルは珍しく、社は2階構造で1階にそびえる柱が2階まで伸びている形となっています

あまりに大きいのでそのレプリカまでも完備され、参拝客の祈念を支えているようです

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おまけ

アユタヤ島の北側のチャオプラヤ川沿いには、旧市街のラックムアンがひっそりと建っています

興味があれば頑張って見つけてみてください♡


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 14 スパンブリ県


巨大なドラゴンでスパンブリ有数の観光地

実はここがスパンブリ県のラックムアンになります

中華系の人々との国交を記念して建てられた施設ですが、それをラックムアン内に作ったというイメージになるようです

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と言っても別にこの巨大竜がラックムアンではありません
(´ε`;)

隣にある中華門近くの柱がそれにあたり、柱は大乗仏教の様子を浅浮き彫りで彫刻されています

もとはシヴァ神をイメージした木造の神社だったそうですが、この施設を作る際より中華系の装飾に変更されました

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 15 サムットソンクラーン県


タイ風の建築デザインが黄金色で輝いている見事なお社です

サムットソンクラーン県はラーマ2世生誕の地であり、その昔王都があった大変歴史深い地域

その為、ラックムアンがあっただろうとして県が調査を掛けたらしいのですが、今までそれが建築された痕跡が発見されませんでした

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『ラーマ2世を輩出し歴史も深いこの州にラックムアンが無いとはなんと嘆かわしい』

・・と言ったかどうかは分かりませんが、速攻で議会が招集されます

古の伝統であり、人々の平和と幸福、そして国の安定を生むとされるラックムアン

県知事及び県議会でラックムアンの建設が満場一致で可決、この黄金の神社が作られました

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柱は神聖な木製で蓮の花模様のベースと頭部彫刻が施されています

ナーライ王治世より400年経った今、ようやくできたラックムアンはサムットソンクラーンの人々に平和と幸福をもたらしています

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 16 ラチャブリー県


軍が管理する敷地内にありますので、一瞬入るのを躊躇しがちですが普通にスルッと入れます

ラーマ2世の治世中に最初に建立されたラックムアンです
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ラチャブリの都市はドヴァーラヴァティー時代には存在し、近くにあるクブア遺跡で当時の市街はここより南にずれた場所にあったとされています その後ロッブリー時代にはメークロン川左岸のムアン地区に都市が移動 ワット・マハタートという仏舎利奉納寺院が建てられました ですがやがてその位置もタイ侵略を企てるビルマ軍(現:ミャンマー)の侵入ルートであり防衛的に不利な立地と判断 メークロン川を渡った右岸側に都市を移し、そこで現在のラックムアン建設に落ちついたようです

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ビルマ軍の猛攻を受けていたこの都市には、ラックムアンを囲うように要塞が作られました
現在でもタイ陸軍の管理地域にあり当時設けられた6つの門のうちいくつかの門が未だにその姿を残しています


美しいタイ様式の神社内に太めの柱が1本立ちます

流石にラマ2世が建てた柱は残ってはおらず、現在の柱は1984年に新しく立て直されたものになります

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 17 カンチャナブリ県


カンチャナブリーのラックムアンは1960年にプラヤ・プラシット・ソンクラム知事により老朽化したものの再建と言う形で建てられました

タイ風の屋根付き四面体の建物になっている柱神社は大通りのど真ん中に建てられています

通る車はラックムアンを避けて通る形ですが、なぜか皆軽いクラクションを鳴らしてましたね

何か暗黙のルールがあるのでしょうか?

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正面にはラックムアンが建てられた日付を示す石碑があります。

半年に一度のペースで祭典が行われており、市民のラックムアンへの敬度が感じられます

毎日05.00から20.00時間の間開いているようです

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 18 ペッチャブリー県


かつてはここよりもっと東側にあったラックムアン

ですが時代とともに人々がラチャブリ川周辺に居住地区を移していったため、ラックムアンのある場所は廃れていきます

やがて旧ラックムアンは腐食し朽ちていったため、1886年に今の位置に移動されました

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カッシアジャバニカというマメ科の樹木で作られた柱と、それを囲う神社は中華系の方々によりデザインされた為、ラックムアンは仄かに中華のかほりを漂わせます

ここの正面にはペチャブリを代表する観光地、プラナコーンキリ国立歴史公園がありますので合わせて寄っておきたいところです

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 00 まとめ


アユタヤ時代に始まったラックムアン信仰

当時は恐ろしくも『人柱』制度も組みこまれていました

国を病気や敵から護る4枚の扉を意味して

イン = 太陽 
ジャン=月 
マン=強い 
コン=永遠

の言葉自体に吉祥がある名前を持つ方を、それぞれ四隅に生き埋めにしました

その選定方法はなんと街中で上記の呼びかけに反応した方が無作為に選ばれたと言います


上記の名前を持つ方

街中で呼び止められてもむやみに振り向いていけませんよ
( ̄ー ̄)ニヤリ






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