知る人ぞ知る浮仏像に会いに行こう!
皆さんは青銅で出来た重量のある仏像は水に浮くとお思いますか?
普通の義務教育を受けられてきた方であれば、重力が浮力より大きければ『沈む』という現象が起きるのはもはや常識でしょう
だがそれを覆す現象が起きたとしてこの伝説が始まります
“ตำนานพระพุทธรูปลอยน้ำ”
『浮仏像の伝説』として語りつがれるこの話は、5体の水に浮く不思議な仏像に纏わるお話
5体の仏像は今もなお一体づつ5つのお寺に奉納されているといいいます
5つのお寺・・これはもうお遍路しかありませんね!
という事で5寺をすべて制覇! 伝説の真意を確かめに行くとしよう
(/´>▽<)o レッツゴー♪

話はアユタヤ王朝より始まります
知っての通り数百年前に栄えていたアユタヤ王朝ですが、ビルマ(現ミャンマー)との戦いに敗れ崩壊の一途を辿ります
現在のアユタヤを見ても分かる通り、当時のビルマ軍は勝利の代償としてアユタヤの街を破壊し金品を強奪して行きました
特に仏像に塗られた金箔は貴重で、すべての頭部を切り取り焼いて金を取り出したのだといいます

そんな中ここには五知如来が存在しました
五知如来とは5つの知恵を偶像化したもので、アユタヤでは5体の如来仏像にあてはめられていました
せめてこの如来たちだけは守らねば・・
そう考えた村人たちは如来に黒漆喰を塗りわざと見すぼらしくする事で仏像をビルマ軍の目からそらします
その後筏に乗せ川に流し如来たちを戦禍より逃したのでした

ですがそのことがビルマ軍にばれ筏は無残にも撃ち落されてしまいます
そのまま水底へと沈む仏像達
普通ならそのまま見つかることなく泥に埋もれたままになるはずですが、なんと仏像自身が浮くことで水底より復活
見事それぞれが河口まで無事流れ着いたのでした
青銅製の重量のある仏像が浮き流れ着いたのがまさに奇跡
これが伝説の簡単な概要となります
5つの仏像は流れてきた川がそれぞれ違います
なぜアユタヤのチャオプラヤ川に流した仏像が、全く連結していない他の川から流れてきたのかは触れてはいけません
( ・`ー・´) + キリッ
伝説なんてそんなものですので・・
という事でお遍路始めて行きましょう!
(/´>▽<)o レッツゴー♪
まず最初に流れ着いたのはルアン・ポー・バンレム
川はメークロン川で電車が来ると屋根を折りたたむことで有名な市場がある街となります
その市場のほど近くにあるワット・ペット・サムットウォラウィハンにこの仏像は奉納されています
バンレム像と同じくしてメークロン川に流れ着いたタクラオはワット・カオ・タクラオへ奉納されます
というよりこの仏像の為にタクラオ寺院を建立したという事の様です
奇跡を起こした仏像が流れ着いた地域の住民は、病気などから解放され街も発展していきました


まさに寺院ひとつ建ててしまうくらいのご利益があったんでしょうね
(・∀・)つ


お次は本家のチャオプラヤ川ですが、サムットプラカーン県はサムロン地域よりサムロン運河に流れ込んでいました
かなり大きな仏像が浮いていた事から地域住民の間で瞬く間に噂がひろがり、一目見ようと人だかりが出来ます
当然引き上げようとあらゆる手を尽くすのだがどうやっても上がりません


そこで村人たちは『如来様はきっとここではないどこかに行きたいのだろう』というなかなかのぶっ飛んだ発想にいたります
そこで如来に紐をつけ運河に沿って横引きをします
するとバンプリー地区にあるバンプリー・ヤンナイ寺院の前で停止
そこからまったく動かなくなり逆にするっと水から引きあがったのでした


きっとこの寺院に行きたかったのだろう
そう察した村人によって今日もこの寺院に鎮座されているようです
ちなみにワット・バンプリーヤイはこんな寺院♡
さて最後の5体目はルアン・ポー・ワットライキン
その名が示す通りワット・ライキンという寺院に奉納されています
川はターチン川
先のバンレム・タクラオと共に3体で流れていて、河口まで流れ着いた際先の2体はメークロン川まで流れ、ライキンは川をさかのぼりワット・ライキン前まで戻ってきたと言われています

このライキンさんには別の説もあります
アユタヤのワット・サーラープーンより流されて、ソンクランの日にちょうどここへ辿り着きました
丁度その年は日照り続きで猛暑と干ばつで苦しめられていたのですが、ライキンが流れ着いたとたん恵みの雨が降り村人は助けれらます
そのことによりソンクランに恵みの水をかけあう儀式が始まったと言います


まさかの水かけ祭りソンクランの起源だったとは
信じるか信じないかは貴女次第です!
ちなみにワット・ライキンはこんな寺院♡
まとめ
こういった伝説には諸説がつきものですので少々見解が違う場合もあります
そもそもアユタヤでなく南部の方から流れてきたという話もあるくらいです
ま、他愛のないイチブロガーの雑記事です
ということで
『この伝説はこんな話じゃねーよ!このハゲ!』
というご叱咤は何卒ご容赦いただけるようよろしくお願い申し上げます
(。-∀-) ニヒ
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皆さんは青銅で出来た重量のある仏像は水に浮くとお思いますか?
普通の義務教育を受けられてきた方であれば、重力が浮力より大きければ『沈む』という現象が起きるのはもはや常識でしょう
だがそれを覆す現象が起きたとしてこの伝説が始まります
“ตำนานพระพุทธรูปลอยน้ำ”
『浮仏像の伝説』として語りつがれるこの話は、5体の水に浮く不思議な仏像に纏わるお話
5体の仏像は今もなお一体づつ5つのお寺に奉納されているといいいます
5つのお寺・・これはもうお遍路しかありませんね!
という事で5寺をすべて制覇! 伝説の真意を確かめに行くとしよう
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話はアユタヤ王朝より始まります
知っての通り数百年前に栄えていたアユタヤ王朝ですが、ビルマ(現ミャンマー)との戦いに敗れ崩壊の一途を辿ります
現在のアユタヤを見ても分かる通り、当時のビルマ軍は勝利の代償としてアユタヤの街を破壊し金品を強奪して行きました
特に仏像に塗られた金箔は貴重で、すべての頭部を切り取り焼いて金を取り出したのだといいます

そんな中ここには五知如来が存在しました
五知如来とは5つの知恵を偶像化したもので、アユタヤでは5体の如来仏像にあてはめられていました
せめてこの如来たちだけは守らねば・・
そう考えた村人たちは如来に黒漆喰を塗りわざと見すぼらしくする事で仏像をビルマ軍の目からそらします
その後筏に乗せ川に流し如来たちを戦禍より逃したのでした

ですがそのことがビルマ軍にばれ筏は無残にも撃ち落されてしまいます
そのまま水底へと沈む仏像達
普通ならそのまま見つかることなく泥に埋もれたままになるはずですが、なんと仏像自身が浮くことで水底より復活
見事それぞれが河口まで無事流れ着いたのでした
青銅製の重量のある仏像が浮き流れ着いたのがまさに奇跡
これが伝説の簡単な概要となります
5つの仏像は流れてきた川がそれぞれ違います
なぜアユタヤのチャオプラヤ川に流した仏像が、全く連結していない他の川から流れてきたのかは触れてはいけません
( ・`ー・´) + キリッ
伝説なんてそんなものですので・・
という事でお遍路始めて行きましょう!
(/´>▽<)o レッツゴー♪
ルアン・ポー・バンレム
まず最初に流れ着いたのはルアン・ポー・バンレム
川はメークロン川で電車が来ると屋根を折りたたむことで有名な市場がある街となります
その市場のほど近くにあるワット・ペット・サムットウォラウィハンにこの仏像は奉納されています
高さ167cmの施し鉢を持った姿勢で立っているお姿ですが、流れ着いた際には施し鉢は流されていてその手には何も持っていなかったようです


発見者はレム村の漁民
この仏像はその魚網にかかって引き上げられました
お魚が取れると思ったら仏さまが取れちゃったなんて言ったらびっくりしたでしょうね
実はこの時同じくもう一体も流れ着いていました
その一体はルアン・ポー・カオタクラオ
違う姿勢のこの仏像はここよりさらに南のワット・カオ・タクラオに奉納される事となりました




発見者はレム村の漁民
この仏像はその魚網にかかって引き上げられました
お魚が取れると思ったら仏さまが取れちゃったなんて言ったらびっくりしたでしょうね
実はこの時同じくもう一体も流れ着いていました
その一体はルアン・ポー・カオタクラオ
違う姿勢のこの仏像はここよりさらに南のワット・カオ・タクラオに奉納される事となりました


ルアン・ポー・タクラオ / หลวงพ่อวัดเขาตง
バンレム像と同じくしてメークロン川に流れ着いたタクラオはワット・カオ・タクラオへ奉納されます
というよりこの仏像の為にタクラオ寺院を建立したという事の様です
奇跡を起こした仏像が流れ着いた地域の住民は、病気などから解放され街も発展していきました


まさに寺院ひとつ建ててしまうくらいのご利益があったんでしょうね
(・∀・)つ


ルアン・ポー・ソソン / หลวงพ่อโสธร
続いて流れてくるのはバンパコン川
チャチュンサオにある第三級王室寺院ワットソートーンの前に如来は流れ着きます
当時はまだ「ワットホン」と呼ばれていたこの寺院の僧侶が仏像を見つけ引き上げようとするもびくともしません
ラオスプラとして知られるラオスの文化を持つ仏像
高さ1.98メートルの鋳造ブロンズ仏像は静かな瞑想姿勢を取りたいへん美しい表情をされています
またそのあまりの人気に不安を感じた僧侶たちが如来の盗難を恐れて、石膏で仏像を塗り固めてしまったという逸話があるようです
ビルマ軍から逃れるためにも同じ仕打ちを受けた如来様
伝説とは輪廻するものなんですね
(。-∀-) ニヒ

ちなみにワット・ソートーンはこんな寺院♡
ビルマ軍から逃れるためにも同じ仕打ちを受けた如来様
伝説とは輪廻するものなんですね
(。-∀-) ニヒ

ちなみにワット・ソートーンはこんな寺院♡
ルアン・ポー・トー / หลวงพ่อโต
お次は本家のチャオプラヤ川ですが、サムットプラカーン県はサムロン地域よりサムロン運河に流れ込んでいました
かなり大きな仏像が浮いていた事から地域住民の間で瞬く間に噂がひろがり、一目見ようと人だかりが出来ます
当然引き上げようとあらゆる手を尽くすのだがどうやっても上がりません


そこで村人たちは『如来様はきっとここではないどこかに行きたいのだろう』というなかなかのぶっ飛んだ発想にいたります
そこで如来に紐をつけ運河に沿って横引きをします
するとバンプリー地区にあるバンプリー・ヤンナイ寺院の前で停止
そこからまったく動かなくなり逆にするっと水から引きあがったのでした


きっとこの寺院に行きたかったのだろう
そう察した村人によって今日もこの寺院に鎮座されているようです
ちなみにワット・バンプリーヤイはこんな寺院♡
ルアン・ポー・ワットライキン / หลวงพ่อวัดไร่ขิง
さて最後の5体目はルアン・ポー・ワットライキン
その名が示す通りワット・ライキンという寺院に奉納されています
川はターチン川
先のバンレム・タクラオと共に3体で流れていて、河口まで流れ着いた際先の2体はメークロン川まで流れ、ライキンは川をさかのぼりワット・ライキン前まで戻ってきたと言われています

このライキンさんには別の説もあります
アユタヤのワット・サーラープーンより流されて、ソンクランの日にちょうどここへ辿り着きました
丁度その年は日照り続きで猛暑と干ばつで苦しめられていたのですが、ライキンが流れ着いたとたん恵みの雨が降り村人は助けれらます
そのことによりソンクランに恵みの水をかけあう儀式が始まったと言います


まさかの水かけ祭りソンクランの起源だったとは
信じるか信じないかは貴女次第です!
ちなみにワット・ライキンはこんな寺院♡
まとめ
こういった伝説には諸説がつきものですので少々見解が違う場合もあります
そもそもアユタヤでなく南部の方から流れてきたという話もあるくらいです
ま、他愛のないイチブロガーの雑記事です
ということで
『この伝説はこんな話じゃねーよ!このハゲ!』
というご叱咤は何卒ご容赦いただけるようよろしくお願い申し上げます
(。-∀-) ニヒ
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