誰も知らない知られちゃいけない・・♬
街全体が世界遺産となっている魅惑の都市アユタヤ
過去の戦争によりことごとく破壊された都市は、現代にその悲壮さと虚空を残し得も言えぬ風景を作り出しています
そんな悲壮さに拍車をかけているのが、このブログでおよそ10日毎に紹介している『放棄された廃墟寺院シリーズ』
世界中の観光客が注目する大遺跡群の脇にありながら、誰も見向きもしない遺跡にスポットあてているシリーズなのです
尚、この廃墟寺院の定義とは下記の通りです
①アユタヤ王朝時には存在し王朝崩壊とともに廃寺化した
②直近まで手付かずのままで長期間放棄されていた
③お坊様的な常駐者が現在でもお見えにならない

さてここより紹介するはそんな遺跡はまだ甘い!
こちとら看板も無ければ地図にも載っていない、放棄され過ぎにも程がある遺跡だぜ!
と言うところを紹介していきます
これらはよもや残骸しか残っていないようなところが多く、向かいのホーム路地裏の窓そんなところにあるはずもないところにあります
探すのすら困難な遺跡群をお遍路!
ちょっぴり多いですが是非お付き合いのほどを
さて今回も張り切って行ってみましょう!
レッツ――ヽ(@,,>∀<)ノ――ゴォォ♪
ワット・キアン
現存する同名寺院の前にある2つのチェディー
ウートン通りの北側ルート上にあります
一応アクティブ寺院の一部と思われますが、道にはみ出しちゃっていることからポツンとチェディー化してしまいました



スタッコ装飾の後が仄かに残っており当時の豪華さが伺えます
何の紹介もなくただポツンとしているので、現在はその豪華さは消え失せ哀愁漂う遺跡になってしまっています



類は友を呼ぶのでしょうね
( ̄ー ̄)ニヤリ


ワット・チャン
直訳すると象寺となるこの遺跡
レンガ類でなく砂岩で出来た何かの土台っぽい物しか残っていません
象はアユタヤにおける王族の象徴でもあったことから同姓同名の寺院も数多く、この遺跡に関する情報をひも解くのは困難でした
( ;∀;)
と言うか一見本当に遺跡なのかどうかも判断に迷うところですがね



ウートン通り西側より入る民家の敷地の奥なので、見学は少々ハードルが高くなっております
ワット・トゥク・ナンラム
絵にかいたような残骸のみ遺跡で崩壊レンガが点在しているのみとなります
西アユタヤの放棄寺院群の中に埋もれていますが、ここに気づく方はまずいらっしゃらないと思われます
ワット・マハ・サワン遺跡の北側のロケーションで、ここも詳細はほぼ謎に包まれている遺跡です



レンガ塚の一部に砂岩仏像の足だけが転がります
その昔は彼も立派な仏像だったんでしょうね
(´;ω;`)
今は見る影もないどころか、誰も見てもくれないようです


ワット・ロンマー





ワット・クラジー
アユタヤ警察署の中にあり入って見る事が出来ませんでした が、パトン通りより丸見えなので外から堪能してます ここは2018年にワット・クラジー保全プロジェクトがアユタヤ美術部とユネスコと協業で立ち上がり、そのプロジェクトのもと大規模に修復されたようです そういう意味では別に放棄され過ぎでは無いですね

ただ看板もGoogle Mapの記載もないので、放棄と言うより誰にも知らされていない寂しい遺跡と言えます


まさに放棄され過ぎも程があると言えますね


尚、アユタヤ裁判所の中にワット・サパーン・ナークという放棄された廃墟寺院があるのですが入れませんでしたね
アユタヤで犯罪でも犯して裁かれるときに堪能しようかしら
(。-∀-) ニヒ





ワット・サパーン・パタン
パタン橋というパタン市場へ掛かる運河の橋が名前の由来の神社
2つのチェディー跡を残し、あとはナーレスアン通りを築造する際撤去されてしまいました このチェディーはこの前にあるワット・ラーチャブラナにまつわる兄弟の王位争いの物語に関連します



王位を巡って戦った兄弟は同時に鎌でお互いの首を切り裂き合い相打ちとなりました 結局王位には三男が付くことになり争った兄弟の為に、この2つのチェディーが建てられたと言います 尚、本堂が撤去された際ここより仏頭が発見されました
現在それは近くの神社に奉納されており金箔に身を包んだ黄金の仏像になっているようです



尚、このチェディー跡の後ろにはそのパタン橋の遺物も残っています
昔はここに運河が流れていたんでしょうね



さてここからは番外編
先ほどのサパン橋のように中央アユタヤには橋の遺跡が多々存在します
が、あまり紹介されずほぼ放棄され過ぎ寺院と同様の風貌
という事で彼らにも脚光を浴びて頂きましょう!
(´∀`○)イッテミヨーーー!!






チクン橋
この遺跡があるロータリーはチクン通り
その昔この界隈には当時のアユタヤ王朝での最大の市場のひとつチクン市場が広がっていました
市場は運河による物流で成り立っており、アユタヤ市街には多くの運河が貼り巡ることになります
ここはそんな運河に掛かっていたチクン橋の残骸です



以前は説明書きがあった形跡がありますが、現在ではそれすら放棄されているようです
この残骸を見て橋の橋脚部分と気づく方は重度の遺跡マニアではないでしょうか?
というか普通の観光客なら視界にも入らないでしょうね
( ̄ー ̄)ニヤリ



中央アユタヤは比較的整備が進んでいるので、めぼしい遺跡はちゃんとした観光名所となってますね
その為、他の地域に比べると放棄され過ぎる寺院は少ない印象に思います
また都市部なのでジャングルになっている部分も少なく、足を血まみれにしながら突き進む必要もなく助かりましたね
(´ε`;)
負傷してまでなぜ放棄寺院を求めるのか?
( ´_ゝ`)フッ
それが『放棄ジニリスト』という奴ですよ
放棄され過ぎ廃墟寺院はそのほとんどが地図にありません!
という事で興味があればこちらをチェック
( ・`ー・´) + キリッ
★『放棄された廃墟寺院シリーズ』は絶賛更新中!★
アユタヤに行かれる予定のある方は是非こちらもチェックを!!
( ・`ー・´) + キリッ
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街全体が世界遺産となっている魅惑の都市アユタヤ
過去の戦争によりことごとく破壊された都市は、現代にその悲壮さと虚空を残し得も言えぬ風景を作り出しています
そんな悲壮さに拍車をかけているのが、このブログでおよそ10日毎に紹介している『放棄された廃墟寺院シリーズ』
世界中の観光客が注目する大遺跡群の脇にありながら、誰も見向きもしない遺跡にスポットあてているシリーズなのです
尚、この廃墟寺院の定義とは下記の通りです
①アユタヤ王朝時には存在し王朝崩壊とともに廃寺化した
②直近まで手付かずのままで長期間放棄されていた
③お坊様的な常駐者が現在でもお見えにならない

さてここより紹介するはそんな遺跡はまだ甘い!
こちとら看板も無ければ地図にも載っていない、放棄され過ぎにも程がある遺跡だぜ!
と言うところを紹介していきます
これらはよもや残骸しか残っていないようなところが多く、向かいのホーム路地裏の窓そんなところにあるはずもないところにあります
探すのすら困難な遺跡群をお遍路!
ちょっぴり多いですが是非お付き合いのほどを
さて今回も張り切って行ってみましょう!
レッツ――ヽ(@,,>∀<)ノ――ゴォォ♪
WAT KIEAN / วัดเขียน
ワット・キアン
現存する同名寺院の前にある2つのチェディー
ウートン通りの北側ルート上にあります
一応アクティブ寺院の一部と思われますが、道にはみ出しちゃっていることからポツンとチェディー化してしまいました



スタッコ装飾の後が仄かに残っており当時の豪華さが伺えます
何の紹介もなくただポツンとしているので、現在はその豪華さは消え失せ哀愁漂う遺跡になってしまっています



WAT KAMPHAENG / วัดกำแพง
ワットカンペン
一見普通のよくある神社ですが、実はこの下にワット・カンペンの壁の遺跡が埋まっています
現在ではその一部がほんのりと顔を出している程度
1926年に作成されたアユタヤ遺跡地図にはすでに記載されているので、比較的早くから認識されていた遺跡ですが、神社で埋められると言う放棄っぷりを今でも遺憾なく発揮しています
しかし神社を別の神社で埋めるだなんて・・
しかし神社を別の神社で埋めるだなんて・・
しかもその神社も同様に軽い放棄感が漂っているようです
類は友を呼ぶのでしょうね
( ̄ー ̄)ニヤリ


WAT CHANG / วัดช้าง
ワット・チャン
直訳すると象寺となるこの遺跡
レンガ類でなく砂岩で出来た何かの土台っぽい物しか残っていません
象はアユタヤにおける王族の象徴でもあったことから同姓同名の寺院も数多く、この遺跡に関する情報をひも解くのは困難でした
( ;∀;)
と言うか一見本当に遺跡なのかどうかも判断に迷うところですがね



ウートン通り西側より入る民家の敷地の奥なので、見学は少々ハードルが高くなっております
WAT TUK NANG RAM / วัดตึกนางรำ
ワット・トゥク・ナンラム
絵にかいたような残骸のみ遺跡で崩壊レンガが点在しているのみとなります
西アユタヤの放棄寺院群の中に埋もれていますが、ここに気づく方はまずいらっしゃらないと思われます
ワット・マハ・サワン遺跡の北側のロケーションで、ここも詳細はほぼ謎に包まれている遺跡です



レンガ塚の一部に砂岩仏像の足だけが転がります
その昔は彼も立派な仏像だったんでしょうね
(´;ω;`)
今は見る影もないどころか、誰も見てもくれないようです


WAT RONG MA / วัดโรงม้า
ワット・ロンマー
中央アユタヤの放棄され過ぎ寺院の中では一番の悲壮残留物を持つ遺跡
ですが私有地の中にあり周りの草木の覆いっぷりが半端でないので、その存在に気づく観光客は皆無のようです
場所は説明のしようもないような箇所なので、興味があれば最下部の地図をご参照に
(。-∀-) ニヒ
場所は説明のしようもないような箇所なので、興味があれば最下部の地図をご参照に
(。-∀-) ニヒ
ほぼ崩壊しているチェディーの上部に新しく仏像社が建てられていますが、草木が邪魔をし間近でそのお姿を見るのは困難になっています



直訳すると馬小屋寺というこの寺院は、かつてこの場所に馬小屋があった事にちなんで名付けられました
当時のアユタヤの街には2000頭もの馬がいたそうですが、象の方が重宝されていたようで騎馬隊より騎象隊の方が位が高かったといいます
また1990年代初頭、この界隈で農作業をしていた住民が大きな仏頭の他、多数の人骨を発掘しました
調査によりここは無縁仏や貧困層、囚人等まともに供養できない方々の火葬場であったのではないかとも推測されているようです


Wat Krachee / วัดกระจี
ワット・クラジー
アユタヤ警察署の中にあり入って見る事が出来ませんでした が、パトン通りより丸見えなので外から堪能してます ここは2018年にワット・クラジー保全プロジェクトがアユタヤ美術部とユネスコと協業で立ち上がり、そのプロジェクトのもと大規模に修復されたようです そういう意味では別に放棄され過ぎでは無いですね

ただ看板もGoogle Mapの記載もないので、放棄と言うより誰にも知らされていない寂しい遺跡と言えます


WAT SONG KOP / วัดส่องคบ
ワット・ソン・コップ
ワット・ソンソンとも呼ばれていたこの寺院遺跡は、現在建物土台がかすかに顔を出している程度です
アユタヤ裁判所北側の運河に沿ってポツンとありますが、ここを通りかかった方でさえもほとんど気にもされない事でしょう
というよりすでに草が多いかぶっているので、隣を通っても気づく方はよほどの名のある放棄ジニリストといえそうです
(´・ω・`)
というよりすでに草が多いかぶっているので、隣を通っても気づく方はよほどの名のある放棄ジニリストといえそうです
(´・ω・`)
まさに放棄され過ぎも程があると言えますね


尚、アユタヤ裁判所の中にワット・サパーン・ナークという放棄された廃墟寺院があるのですが入れませんでしたね
アユタヤで犯罪でも犯して裁かれるときに堪能しようかしら
(。-∀-) ニヒ
WAT KHOK YAI MEE / วัดโคกยายมี
WAT JAN / วัดจัน
ワット・ジャン
木の根の中に仏頭があるお寺で有名なワット・マハタート入口の南側に並ぶ2つのチェディー土台です
いくら調べても詳細がよく分からなかったのですが、旧アユタヤ寺院マップに名前だけが記載されていました
一応柵的なモノで囲われており整備は行き届いているようなので放棄され過ぎとは言えませんが、そのポツンと度合いと共に何の看板も説明もない事からここでのご紹介とさせていただきました



もしかしたら近隣にあるどこかの寺院の一部かもしれませんが、周りにそれらしい遺跡も見当たらないので2つのチェディーしか残らなかった寺院と推測できます
しかしアユタヤにいるとこのようなポツンとチェディーは当たり前すぎてよもや視界にも入らなくなってきますね


WAT SAPHAN PATHAN / วัดสะพานปาทาน
ワット・サパーン・パタン
パタン橋というパタン市場へ掛かる運河の橋が名前の由来の神社
2つのチェディー跡を残し、あとはナーレスアン通りを築造する際撤去されてしまいました このチェディーはこの前にあるワット・ラーチャブラナにまつわる兄弟の王位争いの物語に関連します



王位を巡って戦った兄弟は同時に鎌でお互いの首を切り裂き合い相打ちとなりました 結局王位には三男が付くことになり争った兄弟の為に、この2つのチェディーが建てられたと言います 尚、本堂が撤去された際ここより仏頭が発見されました
現在それは近くの神社に奉納されており金箔に身を包んだ黄金の仏像になっているようです



尚、このチェディー跡の後ろにはそのパタン橋の遺物も残っています
昔はここに運河が流れていたんでしょうね



さてここからは番外編
先ほどのサパン橋のように中央アユタヤには橋の遺跡が多々存在します
が、あまり紹介されずほぼ放棄され過ぎ寺院と同様の風貌
という事で彼らにも脚光を浴びて頂きましょう!
(´∀`○)イッテミヨーーー!!
DINSO BRIDGE / สะพานป่าดินสอ
ディンソ橋
クロンチャクライノイ(คลองฉะไกรน้อย)という運河に掛かるレンガの橋
アーチ型のその橋は西洋の影響を受けた形になっています
その為タイらしからぬ光景で、ここだけ切り取るとどこぞの欧州の風景と錯覚しそうです
(・∀・)つ
その為タイらしからぬ光景で、ここだけ切り取るとどこぞの欧州の風景と錯覚しそうです
(・∀・)つ
運河はもともと浅めであった為か現在はほぼ干しあがり、この橋周辺にほんの少しその姿を遺すのみとなっています



シンハラーム寺院やボロムプッターラーム寺院と言った重要寺院への行き来や、当時この界隈にあったバーンディンソ市場の賑わいの立役者となっていました
タイで有名なドラマのロケ地にもなった為、聖地巡礼に訪れるタイ人が後を絶たないそうです



CHIKUN BRIDGE / สะพานขีกุน
チクン橋
この遺跡があるロータリーはチクン通り
その昔この界隈には当時のアユタヤ王朝での最大の市場のひとつチクン市場が広がっていました
市場は運河による物流で成り立っており、アユタヤ市街には多くの運河が貼り巡ることになります
ここはそんな運河に掛かっていたチクン橋の残骸です



以前は説明書きがあった形跡がありますが、現在ではそれすら放棄されているようです
この残骸を見て橋の橋脚部分と気づく方は重度の遺跡マニアではないでしょうか?
というか普通の観光客なら視界にも入らないでしょうね
( ̄ー ̄)ニヤリ



まとめ
中央アユタヤは比較的整備が進んでいるので、めぼしい遺跡はちゃんとした観光名所となってますね
その為、他の地域に比べると放棄され過ぎる寺院は少ない印象に思います
また都市部なのでジャングルになっている部分も少なく、足を血まみれにしながら突き進む必要もなく助かりましたね
(´ε`;)
負傷してまでなぜ放棄寺院を求めるのか?
( ´_ゝ`)フッ
それが『放棄ジニリスト』という奴ですよ
放棄され過ぎ廃墟寺院はそのほとんどが地図にありません!
という事で興味があればこちらをチェック
( ・`ー・´) + キリッ
★『放棄された廃墟寺院シリーズ』は絶賛更新中!★
アユタヤに行かれる予定のある方は是非こちらもチェックを!!
( ・`ー・´) + キリッ
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