かつてこの地で多くの日本人が戦っていた



泰麺鉄道

大東亜戦線中にビルマ(現:ミャンマー)へ人や物資をスムーズに運ぶ為建設された鉄道

戦況を左右する輸送手段であったため、完成を急いだ建設工事は労働者に過酷な労働を強いる形となり多くの死者を出したことで知られている

この界隈にはそれにちなんだ施設が今なお数多く存在するのだが、その代表格がその悲惨さを知らしめているJEATH博物館

日本人がここで何をしてきたかが分かる、我々には少々きつい博物館なのだが実はその隣にひっそりとこの慰霊塔が立っているのである

言われなくては気づきにくいこの慰霊塔

だがこの界隈に観光で来たのなら日本人としては是非とも立ち寄りたい、いや立ち寄るべき場所であろう

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入口に書かれるは下記文言

『この慰霊塔は、第二次大戦中、泰麺鉄道建設に従事し 亡くなられた連合国軍並びに関係の方々の霊を慰めるために、昭和19年2月当時の日本軍によって建てられたものであります

在タイ日本人有志は、毎年3月、亡くなられた方々の霊を慰めるためにここに集まり慰霊祭を行っております』


昭和19年建立

何気に80年近く前に建てられているのね・・

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中に入るとお布施箱

普通に日本語で書かれているがここはタイ

これぞ『タイの中の日本』のカテゴリーにふさわしいビジュアルですよ
(・∀・)つ


どれでは100THBほどお布施しておきましょうかね

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どれではその他の『タイの中の日本』も見ておきましょうかね
( ̄ー ̄)ニヤリ



おおっ
こんなところにピースポールが!


これずっと探していたのね

タイのどこかにあるとは耳に入っていていつかお遍路しようと思っていたけど、肝心の設置場所の情報が全くなくあきらめていたやつ


他に情報をお持ちの方

是非お知らせください!!
ヾ(´ω`=´ω`)ノ

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慰霊塔の裏にはIMEパットを使用しなければ記載出来ない難解な漢字を用い下記のように記されている

『泰麺鉄道旬連接鐵道建設間不幸病ヲ得テ斃レタル南方各國務者及俘虜ノ爲此ノ碑ヲ建テ恭シク其ノ霊ヲ慰ム

昭和十九年二月 日本軍鐡道隊』



昭和19年なので今使われている言い回しとは少々違うのね

これだけで日本人としては時代を感じますな

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実はここは『戦場にかける橋』でおなじみのクウェー川鉄橋の脇でもある

初見でカンチャナブリに行くのなら、誰もが立ち寄ると思われる箇所なのでここへ来るのはそう難儀でもないはず


この界隈で歴史では習わなかった昔の日本を思い知るのいいかもですよ

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戦争は悲惨なものだが、その歴史の上に今の僕たちが存在する


そこから学び二度と同じ過ちを犯さないようにするべきですね

・・と思った貴女は是非ここで学んでみましょう!
(。-∀-) ニヒ













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