古の避難場所はタイ最大級の華やかな市場内に



 大東亜戦争時、空襲警報が鳴り響いていた際使用されていた防空壕は、そこの住民たちにとっては大切な避難所であった

特に当時の物資運搬の大動脈チャオプラヤ川は、首都圏を攻める攻撃拠点にもなりその川沿いは激しい戦火に巻き込まれていたという

ここはアジアンティーク・リバー・フロント

そのチャオプラヤ川沿いに華々しくオープンしているタイ最大級のナイトマーケットも、その昔には戦地として日本人も多く闊歩していたという

そんな日本人が激しい空襲から身を護るために作成した防空壕

華やかなナイトマーケットの片隅になぜか今なおその一部が遺っているという

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ここはラマ5世治政に作られた国際貿易港跡

イースト・アジアンティーク社が管理をしており、その社名が現在のこのマーケットの名を引き継いでいる
タイで最初にして最大の国際港は東洋と西洋の文化が入り混じる国際都市を作り上げた

現在では観光と言う観点で国際色豊かな訪問客で賑わっているという
(・∀・)つ

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イースト・アジアンティーク社は主にチーク材を諸外国に輸出しており、その関係で多くの倉庫をこの港に保有していた

そしてこのチャオプラヤ川は先にも述べたように物流の要になると同時に、軍事作戦的にも重要な拠点となる

という事で大東亜時代その倉庫群の一部をかつての日本軍が侵略 彼らの戦時基地及び武器庫として使用されていたという


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侵略した日本軍が作った防空壕はマーケットの入り口、ケンタッキーフライドチキン前に鎮座

近代のマーケットに似合わぬお姿で古の風景を作り出している

なぜここだけ残したんでしょうね?
(・・?


実は開発時ここより宝石の破片が発見されたという

この宝石はその昔カンチャナブリで噂のあった『日本軍の埋蔵金』に通じるものではないかという憶測が飛び回ったとのこと

もしかしたらまだ何か埋蔵金につながるお宝が出てくるかもとして残したのかしらね
(。-∀-) ニヒ
尚、ここに建つ看板には下記のように記されています
Discarded fragments of gemstones have been found seattered on the old warehouse grounds making possible that Japanese soldiers brought gemstones from Kanchanaburi to the warehouse , where they cooked them before sending them to Japan
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なんとそのカンチャナブリの埋蔵金は、あの伝説の番組『電波少年』でも取り上げられていますね
(・∀・)



中は比較的きれいに残り、天井に空く穴より光がこぼれ幻想的な空間となっている

だが当時は空襲に震えそれどころじゃなかったんだろうね

日本にある防空壕は洞窟のように土を掘った形状が多いが、山のないタイではこのようにコンクリートで作るのが一般的だったのかしら?


なんとなくこれではひ弱な感じがしちゃうんだけどね・・
(´ε`;)

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尚、タイ語の説明では『小堀の防空壕』となっているようですな

小堀とはタイ人では知らない人がいないほどの有名な日本兵

彼とタイ人女性との恋愛を描いた物語『クーカム』は何度もドラマ・映画化されている模様


日本兵と言えばもう小堀しか想像出来ないんでしょうね
(。-∀-) ニヒ









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