明治時代に移民された18名の慰霊塔
1894年(明治27年)岩本千綱氏に連れられた一行がここタイの地に降り立った
彼らはタイへの移民の先駆者、言わば現在の駐在者の先輩とも言える方々となる
バンコクに居を構えた彼らはまずそこで稲作に従事することに
やがてコラート方面(タイ東北部)への鉄道建設が盛んになると、このサラブリの地に移住し鉄道建設に勤しむことに
だがその工事はかなりの難工事であったがゆえに彼らの体力を奪い、そこへ当時流行していた南国特有の伝染病が彼らを襲ったという
伝染病の名はマラリア
移民したうち18名がこの伝染病にかかり、全員が命を落としたという
故郷へ帰れず異郷で永眠した彼らを慰めるため、泰国日本人会によりここ鉄道建設地に彼らの慰霊碑が建てられた
これは1966年、タイ移民70年祭記念でのこと
かなり経ってから祀ってもらったんだね
(・∀・)つ
ここはサラブリ県にあるワット・ゲンコーイというお寺さん
ハゲタカ寺と称され独特の人工洞窟を持つこのお寺さんの入口付近
そんな慰霊碑はその観光寺の入口に立つ
ちなみにこの人工洞窟はかなりの見ごたえ
折角なのでセットで見学しちゃいましょ
そんな彼らが作った鉄道は今なお東北部と首都バンコクを結ぶ重要な路線として活躍中
この慰霊碑の目の前にあるゲンコーイ駅が各地への分岐駅ともなっている
ふと見ただけではその昔日本人が建設関わっただなんて絶対分かりませんね
慰霊碑の周りには鉄道に関するオブジェ
この鉄道は大東亜戦争時物資や兵力の運搬として使用され物流の要の拠点であった
そのためタイへ侵攻した日本軍の一部も当時ここに駐軍していたという
物流の要で日本軍がいるとなれば、敵にとっての最大ターゲットになりうるのは至極当然
それが当時この地に惨劇をもたらすことになる
第二次世界大戦時1945年4月2日、連合国のB24戦闘機がここを爆撃した その爆撃はこの周辺の官公庁、市場、寺院、公民館などを次々と破壊していったという これによりここに駐在していた多くの住民と日本兵が犠牲となる 犠牲者の遺骨は周辺の有志により集められ、この移民慰霊碑の隣に建てられた「航空事故犠牲者記念碑」のもと永眠することとなった 今でもここケンコーイ・コミュニティの人々によって空爆のあった毎年4月2日に追悼式が行われている
背後には爆撃の様子が描かれたリーフレット
平和な鉄道駅風景から爆撃により破壊される街の様子が描かれている
こうしてみると戦争の悲惨さが良く分かる
やっぱり平和が一番だね
( -д-)ノ
バンコクより約2時間
タイの中にある日本はこのように各地に点在している
こういった箇所を巡るのも結構面白いかもですよ
さあ。週末行ってみましょうか!
( ̄ー ̄)ニヤリ
行くならこちらを参考に!
その他&すべての写真はこちらより
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記念碑に書かれている文言は以下の通り
ちょっぴり古い言い回しが難解っすね
(´ε`;)
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1894年(明治27年)岩本千綱氏に連れられた一行がここタイの地に降り立った
彼らはタイへの移民の先駆者、言わば現在の駐在者の先輩とも言える方々となる
バンコクに居を構えた彼らはまずそこで稲作に従事することに
やがてコラート方面(タイ東北部)への鉄道建設が盛んになると、このサラブリの地に移住し鉄道建設に勤しむことに
だがその工事はかなりの難工事であったがゆえに彼らの体力を奪い、そこへ当時流行していた南国特有の伝染病が彼らを襲ったという
伝染病の名はマラリア
移民したうち18名がこの伝染病にかかり、全員が命を落としたという
故郷へ帰れず異郷で永眠した彼らを慰めるため、泰国日本人会によりここ鉄道建設地に彼らの慰霊碑が建てられた
これは1966年、タイ移民70年祭記念でのこと
かなり経ってから祀ってもらったんだね
(・∀・)つ
ここはサラブリ県にあるワット・ゲンコーイというお寺さん
ハゲタカ寺と称され独特の人工洞窟を持つこのお寺さんの入口付近
そんな慰霊碑はその観光寺の入口に立つ
ちなみにこの人工洞窟はかなりの見ごたえ
折角なのでセットで見学しちゃいましょ
そんな彼らが作った鉄道は今なお東北部と首都バンコクを結ぶ重要な路線として活躍中
この慰霊碑の目の前にあるゲンコーイ駅が各地への分岐駅ともなっている
ふと見ただけではその昔日本人が建設関わっただなんて絶対分かりませんね
慰霊碑の周りには鉄道に関するオブジェ
この鉄道は大東亜戦争時物資や兵力の運搬として使用され物流の要の拠点であった
そのためタイへ侵攻した日本軍の一部も当時ここに駐軍していたという
物流の要で日本軍がいるとなれば、敵にとっての最大ターゲットになりうるのは至極当然
それが当時この地に惨劇をもたらすことになる
第二次世界大戦時1945年4月2日、連合国のB24戦闘機がここを爆撃した その爆撃はこの周辺の官公庁、市場、寺院、公民館などを次々と破壊していったという これによりここに駐在していた多くの住民と日本兵が犠牲となる 犠牲者の遺骨は周辺の有志により集められ、この移民慰霊碑の隣に建てられた「航空事故犠牲者記念碑」のもと永眠することとなった 今でもここケンコーイ・コミュニティの人々によって空爆のあった毎年4月2日に追悼式が行われている
背後には爆撃の様子が描かれたリーフレット
平和な鉄道駅風景から爆撃により破壊される街の様子が描かれている
こうしてみると戦争の悲惨さが良く分かる
やっぱり平和が一番だね
( -д-)ノ
バンコクより約2時間
タイの中にある日本はこのように各地に点在している
こういった箇所を巡るのも結構面白いかもですよ
さあ。週末行ってみましょうか!
( ̄ー ̄)ニヤリ
行くならこちらを参考に!
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記念碑に書かれている文言は以下の通り
ちょっぴり古い言い回しが難解っすね
(´ε`;)
日本人第一回移民の碑日本人第一回シャム移民山口県人かぎ鍛本作造氏他十七名の霊此地にゲンコイに眠る之等の人々は1894年(明治27年)岩本千綱氏引率の下に日本人最初の移民団に加わってシャムに渡り農務卿スリサク侯の後援を得バンコック市にて稲作に従事したが事志と相容れず時恰もバンコックーコラート間鉄道敷設に當りタイ国鉄道省ドイツ人技師の斡旋により之に従事した稀有の難工事に加え加工未開瘴癘遂にマラリアに冒され十八名が異郷に永眠之等移民の70年祭に本国より仏像1体を勧請し碑を建立して霊を慰め以て其の冥福を祈る1966年3月21日 泰国日本人会
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