意外と知られていないアユタヤの名刹



ここはアユタヤ島外周の北西地域

ここに1377年に建立されたと見られる寺院が存在する

タイ王国の歴史において1300年代の建立はそうとうな古刹にあたり、本来なら超ド級の観光寺院になるはずだが流石にここはアユタヤ

ここ以外に超々々ド級の古刹が多数存在してしまっているため、ここに存在はかなり薄まってしまっているという

ということで古刹応援のためワタクシ目がご案内

皆様の今週末のご参拝をご期待いたします!
( ̄ー ̄)ニヤリ

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まずはこのお寺さんにまつわる昔話

むかしむかしこの寺院近くにメー・プルームという老婆が住んでいた

彼女は子供も孫もおらず一人で暮らしていたという


ある日近くを流れるチャオプラヤ川を舟で横断している一人の男がいた

その日は猛烈な暴風雨がふり舟は前に進めなくなってしまったという

横断をあきらめ川岸についたその男

なんと彼はタイ人が『黒の大王』と崇める21代アユタヤ王、ナーレスアン大王であったという

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雨に濡れ凍える彼はメー・プルーム老婆の家の灯りに助けを求めた

一人暮らしで寂しい思いをしていた彼女は彼を大歓迎で受け入れると、食事や寝床を提供したという

しかも彼女は彼が王様である事を全く知らなかった

にもかかわらず献身的にお世話をしてくれる彼女に大王は猛烈に感動したとされている

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その後城に戻ったナーレスアン王

今度は彼女を王宮に招待し豪勢な食事をふるまった

なんと招待時には王様の家来たちが行列をなし、彼女を迎え入れるという超VIP対応だったという


プルームおばあちゃんもさぞかし驚いたことでしょう
(。-∀-) ニヒ


王の感謝の気持ちはそれだけでおさまらず、彼女に死後その御霊を祀るために寺院まで建立した

それがここワット・メーナン・プルームなのである

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礼拝堂に祀られるは『ルアン・ポー・カオ』

その白いお顔が古刹の薄暗い入口から浮かび上がる姿はまさにインスタポイント

このお方がメー・プルームかどうかは不明だが、その時代に彼女を偲んで作られたとの話が残っているのだとか


突然訪ねてきた方を一晩世話しただけで後世に残る方になれたのね

僕も突然誰かが訪ねてきたら、厚いおもてなしをしておこっと
(・∀・)つ

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寺院の奥にはクメール美術の影響を受けた獅子台座のチェディー(仏塔)が鎮座

他は破壊の限りが尽くされているアユタヤ遺跡の中で、ここまで完璧に遺物が残っているのは大変珍しい

これはビルマ軍との戦いの中でここに彼らの大砲が設置され、駐軍地域になっていたことによるもの

ここからアユタヤ島に向かって大砲が撃ち込まれていたのね


メー・プルームおばあちゃんが聞いたらさぞかし悲しむことでしょう
( ;∀;)

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と、そんな伝記を知りつつ訪問すれば楽しさ倍増のお寺訪問

たまには有名遺跡だけでなくこんな軽いマイナー遺跡もいいかもですよ
( ̄ー ̄)ニヤリ














その他&すべての写真はこちらより
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TEMPLE DATA

วัดแม่นางปลื้ม
WAT MAE NANG PLUEM

参拝時間 : 6:00-18:30
参拝料金 : 無料
電話   : +66909853577
H.P.    : 





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