誰も知らない知られちゃいけない・・♬
タイ王国はアユタヤにある激熱な遺跡を紹介する
『アユタヤ放棄された廃墟寺院シリーズ』
今やこのブログの代表的記事と言っても過言でない人気シリーズで、おかげさまで少しでも更新が遅れると僕の死亡説が囁かれる程、心待ちにされているファンが大勢いらっしゃるようです
・・と言った豪快な嘘はさておき、このブログ内で紹介している『放棄された廃墟寺院』とは下記の定義となります
①アユタヤ王朝時には存在し王朝崩壊とともに廃寺化した
②直近まで手付かずのままで長期間放棄されていた
③お坊様的な常駐者が現在でもお見えにならない

今まで紹介してきたこれらの放棄寺院は ”とはいえ” アユタヤ美術局に史跡登録がされ現在では案内や説明看板が設置され、訪れた方をかなり丁重にもてなしております
さてそんな中別に紹介する
『放棄され過ぎにも程がある廃墟寺院シリーズ』
これは先の定義に加えて
④看板らしきものが存在しない、または簡易的なもののみ
⑤遺物自体がほとんどなく街に溶け込んでしまっている
⑥時に道なき道をくぐり抜けないと辿り着かない
⑦時に犬に吠えられ、地域住民に不審がられる道を進まなくてはならない
を満たすアユタヤ内の廃墟寺院を指します
見つけるのすら困難な遺跡は言い換えれば見つける必要もない遺跡
だが真の放棄ジニリストにそんな格言は通用しないのです!
( ・`ー・´) + キリッ
ここまで聞いてもどんな遺跡なのか想像もつかない方も多いでしょう
では早速イメージを付けていきましょう
ワット・ カムペーン
北アユタヤの住宅街にひっそりと溶け込んでいる仏像遺跡
周りはほぼ林の為、半径50m以内にお住いの方しかここの存在を知らないのではないかと思われます
ビルマ軍に破壊された寺院が多い中、ここは普通に目の前を流れるスラブラ川からの毎年の氾濫で浸食されっちゃているようです
また盗賊による破壊工作もあったようで、現存する仏塔にはその痕跡が残っています


比較的高い台座に鎮座する仏像は、片腕が無いながらもマラのポーズを保ち地域住民の方の信仰により黄色の袈裟が施されています
ここの公的な発掘調査はほとんど行われておりませんので、詳細はまるで分っておりません


尚、この遺跡の周りには番犬が10数匹徘徊しています
超絶危険なので訪問には注意が必要です
(((( ;゚д゚)))
ざっくり雰囲気こんな感じ
写真データはこちらより
ワット・スパン・クルア
ここを北アユタヤと言っていいかは議論ですが、アユタヤ島の北西に位置するロイ島という島の中にあります
この島には車で渡れる橋は無いため、島内はかなり狭い路地が張り巡らされている状況です
ここはそんな路地の一角に突如として現れる鐘楼の遺跡です

住宅のお庭の中にあり根元からの全貌を望むことは出来ません
また鐘楼ですがすでに鐘はないようで、吊り部だけがかろうじて残っています


アユタヤ王朝時ロイ島とアユタヤ島を結ぶ渡し船は、ここワット・スパン・クルアより出ていた模様
船の行き来に関する合図でもこの鐘楼を使い鳴らしていたんでしょうかね?
今ではその役目を終えひっそりと佇んでいます



ちなみにロイ島とはこんなところ♡
写真データはこちらより
ワット・カオ・ウア
この寺院は1993年と2007年のアユタヤ美術部門(FAD)の地図にのみ記載されています
ものすごく分かりづらい箇所にあり、辿り着いた自分を褒めてあげたいくらいです
(*´∀`*)
まさにジャングルの中にあるといった感じですね

1993年の地図では、寺院の名前はWat Khao Wua(วัดเขาวัว)となっていますが、2007年の地図ではなぜかWat Kha Wua(วัดขาวัว)となっているようです。 牛山寺と訳されるこの遺跡は現在積まれた煉瓦しか遺っておらず、塚遺跡と認定されています

この寺院の建立における詳細なデータはありません が、「ワット・プラドゥ・ソンサムの王の証言」というラタナコシン時代初期に編集されたと思われる文書にてこの寺院が触れられており、それによるとポッターズ・ビレッジ通り沿いにここはあり市場で賑わっていたとされています
と言ってもなんのこっちゃ分かりませんね
(。-∀-) ニヒ


写真データはこちらより
ワット・カウィット
小さな看板を有する遺跡
看板に比例するように遺跡自体もかなりこじんまりしています
住宅街の奥にはありますが路地に隣接しているが故、比較的分かりやすい場所となります

破壊された礼拝堂はアユタヤらしく東向き
そこに現代の微笑み仏像が鎮座しています
建立に関する文献は残っていないようなので、いろいろと謎めいた遺跡となっています


菩提樹が巻き付く煉瓦塚がいい感じの遺跡感を演出しています
またその周りに散らばる煉瓦も古の雰囲気を漂わせ遺跡マニアの心をくすぐっているようです
( ̄ー ̄)ニヤリ


写真データはこちらより
ワット・パ・ディン
先のワット・カウィットのすぐ南側にある遺跡
当時は四方を川で囲われており、ワット・カウィットとも小川で分断されていただけとされています
今にも崩れそうなチェディー(仏塔)が残っています

この寺院そのものの歴史は文献上も残っていませんが、周囲のほとんどの寺院が初期アユタヤ時代 (1351 - 1488)建立の為、ここもその時代であろうと推測されています
またアユタヤ後期に掛けてどの寺院もある程度の修復がされているようなので、ここも同様に手が加わっていると思われます


寺院名の由来も近くにあった運河名から取った説、落葉樹林に囲まれていたことから直訳のパディンと呼ばれた説など諸説あるようです
中でも有力なのが当時チェンマイにあった同名の寺院より、これまた同名のパディン僧侶がアユタヤに入りし建立したという説
ただアユタヤ入りしたまでは確かなようですが、建立したことに触れている文献は無いことから、あくまで状況証拠のみの推測のようです
ま、由来など比較的どうでもいいですけどね
(。-∀-) ニヒ



写真データはこちらより
ワット・スリンタラチャ
1993年の美術部門(FAD)の地図にのみ示されているワット・スリンタラチャ ここの創設者とされる当時の裁判所長であった貴族、チャオプラヤ・スリンタラチャ(1758-1767)から名づけられたとされる寺院名となっています アユタヤの古書『タランの手紙』の中にスリンタラチャは登場し、それによるとアユタヤ王朝末期における治世の高官の息子となっているようです

この方は最終的にはナコーン・シータンマラート地方において、副首相まで務めたとされています そんな彼が建立したとされる寺院も今や廃墟の奥にひっそりとレンガ塚のみが遺る、悲惨な放棄されすぎ廃墟寺院化してしまっています


奥に残るは煉瓦塚のみ
ここがかつて貴族の名がつく寺院であったとは、この廃墟の元住民でも知りえない事実でしょうね・・

写真データはこちらより
ワット・サリアン
中型のチェディーが2塔残る遺跡
がっつり民家の庭の中にあり、どう考えても私有地内と思われるので訪問時にはご挨拶しておきましょう
僕の場合はここに普通に辿り着けず、たまたま道を聞いた方がここの住民さんでしたので話が早かったです
.。゚+.(・∀・)゚+.゚



ここの建立の歴史はご多分に漏れず残っていませんが、チェディーの大きさから寺院自体もそこそこ大きかったと推測されています
またこの界隈は洪水による浸食が多いエリアですが、ここは小高い丘形状になっているのでその辺の被害は最小限に抑えられたようです



写真データはこちらより
ワット・ウィハントン
ワット・ウィハントンは遺物が広範囲に残っており、現在では区画整理において遺物が分けれた位置に存在します
代表格のチェディーの遺跡ですが、こちらはなんとバス会社の敷地内にひっそりと建っていました

外からは見ることが出来ないので、この会社の中に入れてもらわなければなりません
『あの~チェディー見せてもらえませんか・・?』
(・ω・`)
ーどうぞ~
ホント、タイ人って優しい方が多いですね


様式より建立はアユタヤ後期とされ1733 年ボロマコット王治世時代の建立と推測
アユタヤ王朝崩壊とともに放棄されたと考えられています



ちょっと離れた位置に残る柱の遺物はもっとハードルが高い場所
もともと同じ敷地であった寺院も、チクン通り建設時に分断されたといいます



ここもがっつり民家の中に存在するので、発見及び見学はかなり困難
実は僕もここの発見は本当に偶然
路地を歩いていたら柱跡が塀の先から見えたので突撃してみたのです
ご挨拶しようにも誰もいらっしゃらなかったので勝手に見学
ま、看板もあるし問題ないでしょ
(;・∀・)



最下部の地図上では WAT VIHARN THONG 2 としておきましたので、ご興味のある奇特な方は訪問してみてください
写真データはこちらより
写真データはこちらより
これらはアユタヤ島の北方面にある放棄され過ぎ寺院
数が多すぎるのでエリア別に細かく分けながらご紹介させていただいております
定期的には引き続き何の需要も無い本家の『放棄された廃墟寺院シリーズ』をご堪能下さいませ
m(__)m
今回のだいたいの場所はオレンジ色のアイコン
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タイ王国はアユタヤにある激熱な遺跡を紹介する
『アユタヤ放棄された廃墟寺院シリーズ』
今やこのブログの代表的記事と言っても過言でない人気シリーズで、おかげさまで少しでも更新が遅れると僕の死亡説が囁かれる程、心待ちにされているファンが大勢いらっしゃるようです
・・と言った豪快な嘘はさておき、このブログ内で紹介している『放棄された廃墟寺院』とは下記の定義となります
①アユタヤ王朝時には存在し王朝崩壊とともに廃寺化した
②直近まで手付かずのままで長期間放棄されていた
③お坊様的な常駐者が現在でもお見えにならない

今まで紹介してきたこれらの放棄寺院は ”とはいえ” アユタヤ美術局に史跡登録がされ現在では案内や説明看板が設置され、訪れた方をかなり丁重にもてなしております
さてそんな中別に紹介する
『放棄され過ぎにも程がある廃墟寺院シリーズ』
これは先の定義に加えて
④看板らしきものが存在しない、または簡易的なもののみ
⑤遺物自体がほとんどなく街に溶け込んでしまっている
⑥時に道なき道をくぐり抜けないと辿り着かない
⑦時に犬に吠えられ、地域住民に不審がられる道を進まなくてはならない
を満たすアユタヤ内の廃墟寺院を指します
見つけるのすら困難な遺跡は言い換えれば見つける必要もない遺跡
だが真の放棄ジニリストにそんな格言は通用しないのです!
( ・`ー・´) + キリッ
ここまで聞いてもどんな遺跡なのか想像もつかない方も多いでしょう
では早速イメージを付けていきましょう
WAT KAMPHAENG / วัดกำแพง
ワット・ カムペーン
北アユタヤの住宅街にひっそりと溶け込んでいる仏像遺跡
周りはほぼ林の為、半径50m以内にお住いの方しかここの存在を知らないのではないかと思われます
ビルマ軍に破壊された寺院が多い中、ここは普通に目の前を流れるスラブラ川からの毎年の氾濫で浸食されっちゃているようです
また盗賊による破壊工作もあったようで、現存する仏塔にはその痕跡が残っています


比較的高い台座に鎮座する仏像は、片腕が無いながらもマラのポーズを保ち地域住民の方の信仰により黄色の袈裟が施されています
ここの公的な発掘調査はほとんど行われておりませんので、詳細はまるで分っておりません


尚、この遺跡の周りには番犬が10数匹徘徊しています
超絶危険なので訪問には注意が必要です
(((( ;゚д゚)))
ざっくり雰囲気こんな感じ

WAT SPHAN KRUA / วัดสะพานเกลือ
ワット・スパン・クルア
ここを北アユタヤと言っていいかは議論ですが、アユタヤ島の北西に位置するロイ島という島の中にあります
この島には車で渡れる橋は無いため、島内はかなり狭い路地が張り巡らされている状況です
ここはそんな路地の一角に突如として現れる鐘楼の遺跡です

住宅のお庭の中にあり根元からの全貌を望むことは出来ません
また鐘楼ですがすでに鐘はないようで、吊り部だけがかろうじて残っています


アユタヤ王朝時ロイ島とアユタヤ島を結ぶ渡し船は、ここワット・スパン・クルアより出ていた模様
船の行き来に関する合図でもこの鐘楼を使い鳴らしていたんでしょうかね?
今ではその役目を終えひっそりと佇んでいます



ちなみにロイ島とはこんなところ♡

WAT KHAO WUA / วัดเขาวัว
ワット・カオ・ウア
この寺院は1993年と2007年のアユタヤ美術部門(FAD)の地図にのみ記載されています
ものすごく分かりづらい箇所にあり、辿り着いた自分を褒めてあげたいくらいです
(*´∀`*)
まさにジャングルの中にあるといった感じですね

1993年の地図では、寺院の名前はWat Khao Wua(วัดเขาวัว)となっていますが、2007年の地図ではなぜかWat Kha Wua(วัดขาวัว)となっているようです。 牛山寺と訳されるこの遺跡は現在積まれた煉瓦しか遺っておらず、塚遺跡と認定されています


この寺院の建立における詳細なデータはありません が、「ワット・プラドゥ・ソンサムの王の証言」というラタナコシン時代初期に編集されたと思われる文書にてこの寺院が触れられており、それによるとポッターズ・ビレッジ通り沿いにここはあり市場で賑わっていたとされています
と言ってもなんのこっちゃ分かりませんね
(。-∀-) ニヒ



WAT KHWIT / วัดขวิด
ワット・カウィット
小さな看板を有する遺跡
看板に比例するように遺跡自体もかなりこじんまりしています
住宅街の奥にはありますが路地に隣接しているが故、比較的分かりやすい場所となります

破壊された礼拝堂はアユタヤらしく東向き
そこに現代の微笑み仏像が鎮座しています
建立に関する文献は残っていないようなので、いろいろと謎めいた遺跡となっています


菩提樹が巻き付く煉瓦塚がいい感じの遺跡感を演出しています
またその周りに散らばる煉瓦も古の雰囲気を漂わせ遺跡マニアの心をくすぐっているようです
( ̄ー ̄)ニヤリ



WAT PA DAENG / วัดป่าแตง
ワット・パ・ディン
先のワット・カウィットのすぐ南側にある遺跡
当時は四方を川で囲われており、ワット・カウィットとも小川で分断されていただけとされています
今にも崩れそうなチェディー(仏塔)が残っています

この寺院そのものの歴史は文献上も残っていませんが、周囲のほとんどの寺院が初期アユタヤ時代 (1351 - 1488)建立の為、ここもその時代であろうと推測されています
またアユタヤ後期に掛けてどの寺院もある程度の修復がされているようなので、ここも同様に手が加わっていると思われます


寺院名の由来も近くにあった運河名から取った説、落葉樹林に囲まれていたことから直訳のパディンと呼ばれた説など諸説あるようです
中でも有力なのが当時チェンマイにあった同名の寺院より、これまた同名のパディン僧侶がアユタヤに入りし建立したという説
ただアユタヤ入りしたまでは確かなようですが、建立したことに触れている文献は無いことから、あくまで状況証拠のみの推測のようです
ま、由来など比較的どうでもいいですけどね
(。-∀-) ニヒ




WAT SURINTHARACHA / วัดสุรินทราชา
ワット・スリンタラチャ
1993年の美術部門(FAD)の地図にのみ示されているワット・スリンタラチャ ここの創設者とされる当時の裁判所長であった貴族、チャオプラヤ・スリンタラチャ(1758-1767)から名づけられたとされる寺院名となっています アユタヤの古書『タランの手紙』の中にスリンタラチャは登場し、それによるとアユタヤ王朝末期における治世の高官の息子となっているようです

この方は最終的にはナコーン・シータンマラート地方において、副首相まで務めたとされています そんな彼が建立したとされる寺院も今や廃墟の奥にひっそりとレンガ塚のみが遺る、悲惨な放棄されすぎ廃墟寺院化してしまっています


奥に残るは煉瓦塚のみ
ここがかつて貴族の名がつく寺院であったとは、この廃墟の元住民でも知りえない事実でしょうね・・


WAT SALIANG / วัดเสลี่ยง
ワット・サリアン
中型のチェディーが2塔残る遺跡
がっつり民家の庭の中にあり、どう考えても私有地内と思われるので訪問時にはご挨拶しておきましょう
僕の場合はここに普通に辿り着けず、たまたま道を聞いた方がここの住民さんでしたので話が早かったです
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

チェディーの1 つは、典型的なアユタヤ中期の鐘形スタイル
もう一つは八角形土台で今にも崩壊しそうな感じとなっていました
両方とも盗掘された穴があり、尖塔も崩壊し袂に転がっています
両方とも盗掘された穴があり、尖塔も崩壊し袂に転がっています


ここの建立の歴史はご多分に漏れず残っていませんが、チェディーの大きさから寺院自体もそこそこ大きかったと推測されています
またこの界隈は洪水による浸食が多いエリアですが、ここは小高い丘形状になっているのでその辺の被害は最小限に抑えられたようです




WAT VIHARN THONG / วัดวิหารทอง
ワット・ウィハントン
ワット・ウィハントンは遺物が広範囲に残っており、現在では区画整理において遺物が分けれた位置に存在します
代表格のチェディーの遺跡ですが、こちらはなんとバス会社の敷地内にひっそりと建っていました

外からは見ることが出来ないので、この会社の中に入れてもらわなければなりません
『あの~チェディー見せてもらえませんか・・?』
(・ω・`)
ーどうぞ~
ホント、タイ人って優しい方が多いですね


様式より建立はアユタヤ後期とされ1733 年ボロマコット王治世時代の建立と推測
アユタヤ王朝崩壊とともに放棄されたと考えられています



ちょっと離れた位置に残る柱の遺物はもっとハードルが高い場所
もともと同じ敷地であった寺院も、チクン通り建設時に分断されたといいます



ここもがっつり民家の中に存在するので、発見及び見学はかなり困難
実は僕もここの発見は本当に偶然
路地を歩いていたら柱跡が塀の先から見えたので突撃してみたのです
ご挨拶しようにも誰もいらっしゃらなかったので勝手に見学
ま、看板もあるし問題ないでしょ
(;・∀・)



最下部の地図上では WAT VIHARN THONG 2 としておきましたので、ご興味のある奇特な方は訪問してみてください


まとめ
これらはアユタヤ島の北方面にある放棄され過ぎ寺院
数が多すぎるのでエリア別に細かく分けながらご紹介させていただいております
定期的には引き続き何の需要も無い本家の『放棄された廃墟寺院シリーズ』をご堪能下さいませ
m(__)m
今回のだいたいの場所はオレンジ色のアイコン
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