多くの宮殿跡が密集する広大な遺跡公園
世界遺産古都アユタヤ
ウートン王問タイ人では知らぬ者がいない王様によって、14世紀頃に設立されたタイ族の王朝
王統は一つに限らず5つの王家にまたがるといいます
一時は日本とも交流があったこの王朝は、ヨーロッパやインド、中国など多くの国家とも交易が盛んで莫大な富を掲げ華やかな文化が栄えたようです
そんな王朝の栄華を象徴するような遺跡群が点在する公園が、アユタヤ島北部に広大な面積にて存在しています
一旦行けば複数の遺跡を堪能できるこの遺跡公園
アユタヤ観光へ来たなら軽く回ってみるのもいいかもしれません
まず場所はワット・プラシー・サンペットと言う比較的有名な遺跡の真裏
アユタヤ創設者ウートン王の銅像より入る形
地図で言うとだいたい下記のあたり
ついでにワット・プラシー・サンペットも紹介しちゃいましょうかね
( ̄ー ̄)ニヤリ
では早速まわってみよう!
レッツ――ヽ(@,,>∀<)ノ――ゴォォ♪
・・と軽い気持ちで来たのが大失敗
とにかく広すぎるこの公園
しかも地図が設置されているわけではないので、どこに何があるかよく分かんないし
(´ε`;)
という事で可能な限り調べて見たので、これを参考にうろついてみましょう!
目次
1.Chakrawat Phaichayon Throne Hall
2.Koha Sawan Palace
3.Chonlachat Dawasakorn Gate
4.Banyong Ratana Throne Hall
5.Tri Muk Pavillion
6.Suriyat Amarin Throne Hall
7.Sanphet Prasat Throne Hall
8.Viharn Somdet Pavillion
9.Mongkhon Soonthorn Gate
10.まとめ
場所はこの辺
写真データはこちらより
พระตำหนักโคหาสวรรค์
ラーマティボーディー3世呼ばれるアユタヤの代表的な王様、ナライ大王の娘であるクロム・ルアン・ヨタティップの住居であった宮殿
建立の詳しい時期こそ分かっていませんが、当時は壁一面が赤く装飾され豪華な宮殿であったとされれています
また水道設備も整っていたようで、当時最高レベルの施設であったともされています
ここもワットサンペットの北側に広がるエリア
隣にはサケオ宮殿があったとされていますが、実際の現地ではここの宮殿との境は分かりません
(´ε`;)
サワンク・ピロムという門を起点に宮殿を囲う壁が若干遺ります
栄華を誇った最高設備の宮殿も、現在ではその土台を少々残すのみとなっています
場所はこの辺
写真データはこちらより
ประตูชลชาติทวารสาคร
チャオプラヤ川からの取水用にもなっており、この先のパニョン玉座を囲う堀用の取水用水路の役割も担っていたようです
また各宮殿に飲み水の供給するためにも使用されていました
その他に水運用の運河的役割もあり、時に遺体を火葬場まで誘う死者の門的な意味合いもあったようです
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
場所はこの辺
写真データはこちらより
ここらでくるっと ♬
場所はこの辺
写真データはこちらより
พลับพลาตรีมุข
場所はこの辺
写真データはこちらより
พระที่นั่งสุริยาศน์อมรินทร์
場所はこの辺
写真データはこちらより
場所はこの辺
写真データはこちらより
場所はこの辺
写真データはこちらより
あまりにも広大過ぎてカンカン照りの日に行くのは大変危険な公園
日陰もほとんどないので注意が必要ですよ
ただその広大さゆえに単発の遺跡より、かつての栄華を感じやすいともいえるので違った視点で遺跡を堪能したい方にはおススメ
ま
そんな方は考古学者か極度の遺跡マニアくらいしか、いらっしゃらないでしょうけどね
( ̄ー ̄)ニヤリ
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世界遺産古都アユタヤ
ウートン王問タイ人では知らぬ者がいない王様によって、14世紀頃に設立されたタイ族の王朝
王統は一つに限らず5つの王家にまたがるといいます
一時は日本とも交流があったこの王朝は、ヨーロッパやインド、中国など多くの国家とも交易が盛んで莫大な富を掲げ華やかな文化が栄えたようです
そんな王朝の栄華を象徴するような遺跡群が点在する公園が、アユタヤ島北部に広大な面積にて存在しています
一旦行けば複数の遺跡を堪能できるこの遺跡公園
アユタヤ観光へ来たなら軽く回ってみるのもいいかもしれません
まず場所はワット・プラシー・サンペットと言う比較的有名な遺跡の真裏
アユタヤ創設者ウートン王の銅像より入る形
地図で言うとだいたい下記のあたり
ついでにワット・プラシー・サンペットも紹介しちゃいましょうかね
( ̄ー ̄)ニヤリ
では早速まわってみよう!
レッツ――ヽ(@,,>∀<)ノ――ゴォォ♪
・・と軽い気持ちで来たのが大失敗
とにかく広すぎるこの公園
しかも地図が設置されているわけではないので、どこに何があるかよく分かんないし
(´ε`;)
という事で可能な限り調べて見たので、これを参考にうろついてみましょう!
目次
1.Chakrawat Phaichayon Throne Hall
2.Koha Sawan Palace
3.Chonlachat Dawasakorn Gate
4.Banyong Ratana Throne Hall
5.Tri Muk Pavillion
6.Suriyat Amarin Throne Hall
7.Sanphet Prasat Throne Hall
8.Viharn Somdet Pavillion
9.Mongkhon Soonthorn Gate
10.まとめ
Chakrawat Phaichayon Throne Hall
พระที่นั่งจักรวรรดิ์ไพชยนต์
まずは入り口部分
冒頭に紹介したワット・プラシー・サンペットに隣接していたトリ・ムック宮殿という宮殿
冒頭に紹介したワット・プラシー・サンペットに隣接していたトリ・ムック宮殿という宮殿
バンコクにいた王たちに、サナームチャイ地区より招集された兵たちの軍事パレードを観覧させる為の接待施設であったとされているこのホール
今は土台のみが残っていますが、そこにある装飾は当時の豪華絢爛さを今に伝えています
場所はこの辺
写真データはこちらより
Koha Sawan Palace
พระตำหนักโคหาสวรรค์
ラーマティボーディー3世呼ばれるアユタヤの代表的な王様、ナライ大王の娘であるクロム・ルアン・ヨタティップの住居であった宮殿
建立の詳しい時期こそ分かっていませんが、当時は壁一面が赤く装飾され豪華な宮殿であったとされれています
また水道設備も整っていたようで、当時最高レベルの施設であったともされています
ここもワットサンペットの北側に広がるエリア
隣にはサケオ宮殿があったとされていますが、実際の現地ではここの宮殿との境は分かりません
(´ε`;)
サワンク・ピロムという門を起点に宮殿を囲う壁が若干遺ります
栄華を誇った最高設備の宮殿も、現在ではその土台を少々残すのみとなっています
場所はこの辺
写真データはこちらより
Chonlachat Dawasakorn Gate
ประตูชลชาติทวารสาคร
宮殿群西側に備わった城壁の門の一部
ここにはいくつかの門がありましたが、ここが代表的な門跡のひとつとなっています
チャオプラヤ川からの取水用にもなっており、この先のパニョン玉座を囲う堀用の取水用水路の役割も担っていたようです
また各宮殿に飲み水の供給するためにも使用されていました
その他に水運用の運河的役割もあり、時に遺体を火葬場まで誘う死者の門的な意味合いもあったようです
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
場所はこの辺
写真データはこちらより
Banyong Ratana Throne Hall
พระที่นั่งบรรยงก์รัตนาศน์
バニョン・ラタナト王座ホール
ここも前述のナライ大王によって建立されたとされる邸宅
さらに今は残っていませんが高さ約40mもある仏塔が立っていたともされ、ナライ大王がいかに当時権力持っていたかが伺えます
ちなみに今のタイの王様も世界中の王様と呼ばれる方々と比較し、ぶっちぎりの資産持ちのようですよ
その額6兆円とも言われているのだとか・・
うらやましすぎますね
(。-∀-)
ちなみに今のタイの王様も世界中の王様と呼ばれる方々と比較し、ぶっちぎりの資産持ちのようですよ
その額6兆円とも言われているのだとか・・
うらやましすぎますね
(。-∀-)
ここらでくるっと ♬
場所はこの辺
写真データはこちらより
Tri Muk Pavillion
พลับพลาตรีมุข
プラジャディポク王 スリー・ムク・パビリオンでかつてのマハラジを犠牲に捧げる
アユタヤ王宮内に3つのポーチを持つ事で名づけられたこのパビリオン
基礎の残骸がラタナコーシン王朝のラーマ5世治世に発見されました
それからパビリオンの復元が始まり修復が繰り返され、現在この遺跡群唯一の建物が立っています
2017年8月には新たなレンガ基礎が発見され、ますますその概要が分かりつつあるようです
場所はこの辺
写真データはこちらより
Suriyat Amarin Throne Hall
พระที่นั่งสุริยาศน์อมรินทร์
アユタヤ王朝最後の王で大砲の音が怖いと言っているのに大砲を使用したタクシン王をアユタヤより追放し、王朝の崩壊を招いた張本人とされる哀れな王様です
その彼が使用したとされる玉座ホール、中庭エリアの北側にあります
玉座そのものは1450年代のサート・トーン王の治世中に建てられたと考えられています
調べると実はアマリン王以外にもこの玉座に座っていた王はいるようですが、アマリン王のインパクトが強くその名が残っているようです
文献によると過去2回修復されている様で、この玉座のデザインは現在バンコクの王宮にあるドゥシット マハサート玉座ホールのモデルとなっているようです
場所はこの辺
写真データはこちらより
場所はこの辺
写真データはこちらより
Sanphet Prasat Throne Hall
พระที่นั่งสรรเพชญ์มหาปราสาท
かつては王室の重要な儀式の場として、また戴冠式や使節の接待など、国王の賓客を迎える場所として使われていました
建立は1448年頃と推定されています
スパンナプーム王朝のボロマトラロカナト王の治世中でありアユタヤの最盛期であったと言います
当初の玉座は木造で作られていましたが後にレンガで建て替えられました
ラーマティボディ1世やウートーン王朝のウートーン王にも優雅に使用されていたこの宮殿ですが、アユタヤ王没落と共に土台のみが遺る遺跡と化しました
場所はこの辺
写真データはこちらより
Viharn Somdet Pavillion
พระที่นั่งวิหารสมเด็จ
王朝の中庭部分にあった宮殿
看板も設置され比較的分かりやすい位置に存在しています
ナレスワン大王の治世に建立されエカトサロット王治政には外国の要人の接待、プラサート トーン王の治世にはプラウェート・プラ・ナコーン王室の儀式の場所として使用されていました
1636年に大規模改修を行い新しい玉座に建て替えましたが、1767年落雷によって完全に破壊されました
場所はこの辺
写真データはこちらより
Mongkhon Soonthorn Gate
ประตูมงคลสุนทร
アユタヤ王朝のボロンマットライロカナット王(1448-1488)治世中二はあったとされる宮殿の門
当時宮殿の大部分は隣にある世界遺産、プラシー・サンペット寺院とつながっていたようですが、この門はそこへの通用門ではなくソムデット王座と呼ばれる礼拝ホールに行くためであったとされています
発掘された門は二つでそのうちの一つがここモンコン・スントーン門となります
宮殿東側に位置しており門だけでなく城壁が至る所の点々と残っています
この門は過去2回クーデターの舞台となっており、何気に血に濡れた過去を持っているようです
場所はこの辺
写真データはこちらより
まとめ
あまりにも広大過ぎてカンカン照りの日に行くのは大変危険な公園
日陰もほとんどないので注意が必要ですよ
ただその広大さゆえに単発の遺跡より、かつての栄華を感じやすいともいえるので違った視点で遺跡を堪能したい方にはおススメ
ま
そんな方は考古学者か極度の遺跡マニアくらいしか、いらっしゃらないでしょうけどね
( ̄ー ̄)ニヤリ
出展:https://www.facebook.com/MrYouDesign/
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