かかし バンコク独歩 ~バンコク半径2時間の旅~

バンコク2時間以内の 『誰も知らない知られちゃいけない』 箇所をメインに独歩(独りで歩く)した備忘録です タイ旅行大好きな方の次回訪問の参考になれば幸いです

アユタヤ島外周

放棄され過ぎにも程がある廃墟寺院シリーズ 南アユタヤ

誰も知らない知られちゃいけない・・♬



およそ600年前にウートーン王により開かれたアユタヤ王朝

当時繁栄していたクメール文化の影響を多分に受け、独自で華やかな文化を開花させていました

そんな繁栄はビルマ軍の侵略の前に事ごとく破壊され、王朝はトンブリに移り街は放棄される事となります

放棄された街にはこれまた放棄された寺院も存在

そんな悲しき遺跡を約10日毎に紹介する
『放棄された廃墟寺院シリーズ』はすでにシリーズ通算40を超える廃墟寺院を紹介してきました

尚、この廃墟寺院の定義とは下記の通りです

①アユタヤ王朝時には存在し王朝崩壊とともに廃寺化した

②直近まで手付かずのままで長期間放棄されていた

③お坊様的な常駐者が現在でもお見えにならない

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放棄された廃墟寺院シリーズ44 ワット・サナームチャイ @ 西アユタヤ

アクティブ寺院の片隅チェディ



ここは従来の放棄された廃墟寺院とは少々異なり、お坊様的な方がいらっしゃるアクティブ寺院の一部にある遺跡となる

この寺院の建立は1601年とされるが、その多くは1960年代に修復され現在に至っている

が、その一角で1600年代のまま時が止まっている部分が、周りと違った異質な雰囲気を放っているという

『時を戻そう』

どこかで聞いたフレーズに準ずるようにここには約400年間生き残った仏塔が、ひっそりと建ち続けているのであった


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放棄され過ぎにも程がある廃墟寺院シリーズ 西アユタヤ

誰も知らない知られちゃいけない・・♬



およそ10日毎にお贈りしている『アユタヤ放棄された廃墟寺院シリーズ』

すでに多くの方に飽きられ記事自体が放棄されまくっている感もあるシリーズとなっております

もとよりこのブログは『誰も興味を持っていないタイの紹介』がモットー

放棄されるは百も承知、むしろモットー通りに事が進み安堵すら感じている次第でございます
( ;∀;)


さてそんな放棄寺院
実は下記の様な定義の遺跡を紹介しております

①アユタヤ王朝時には存在し王朝崩壊とともに廃寺化した

②直近まで手付かずのままで長期間放棄されていた

③お坊様的な常駐者が現在でもお見えにならない

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放棄された廃墟寺院シリーズ31 アユタヤスタジアム内の歴史探訪 @ 東アユタヤ

スタジアムの熱気にさらされし古代寺院



アユタヤスタジアム
収容人数2500人のこの競技場は陸上競技がメインながらも、サッカーも出来るような造りとなっているアユタヤ市民最強の憩いの場

通常であればスポーツ観戦マニア、またはランニングが趣味の方が訪れるような施設のようだ

ただ観光客の方にとってはよほどビッグイベントがない限り、来アユタヤの貴重な時間を使ってまでわざわざ来る事もないだろう

が、僕のような放棄ジニリスト(放棄寺院を愛して止まない方の通称)にとってはこのスタジアムは至福の空間

という訳で何故放棄ジニリストがここに集結するかを紐解いてみる事しよう


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放棄され過ぎにも程がある廃墟寺院シリーズ 北西アユタヤ

誰も知らない知られちゃいけない・・♬



以前よりしつこいほどお贈りしている『アユタヤ放棄された廃墟寺院シリーズ』

このシリーズはおかげ様で大変好調で、今やこのブログのPVカウントの屋台骨を支えていると言っても過言でない人気シリーズとなっています


皆さまいつもありがとうございます!


・・と言った軽快な嘘八百はおいといて、このブログ内で紹介している『廃墟寺院』とは下記の定義となります


①アユタヤ王朝時には存在し王朝崩壊とともに廃寺化した

②直近まで手付かずのままで長期間放棄されていた

③お坊様的な常駐者が現在でもお見えにならない

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放棄された廃墟寺院シリーズ17 ワット・ケー @ 北アユタヤ

王様がいた? 意外と高貴な廃墟寺院



アユタヤ王朝時代に建てられたとされる古代の寺院
アユタヤ島北部に位置し、クローンブア運河沿いに存在する

伝説によると当時なんとあのルアンポートゥアットさんがお住まいになられていたとか、いないとか

エカトサロート王の治世中、彼が最初にアユタヤでの拠点としていた寺院なのではないかと、歴史マニアのざわつきが止まらないという

と、ここまで聞いても登場人物が全く分からない
ここはやはり歴史を紐解くより、素直に廃墟寺院の風景を楽しむ事としよう

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放棄された廃墟寺院シリーズ28 ワット・タラ―ト @ 北アユタヤ

その昔マーケットとして栄えた遺跡



ここの遺跡の名前は『ワット・タラ―ト』
タラートとはタイ語で市場を表すので、直訳すれば『市場寺院』

その昔ここはビルマ軍がアユタヤ攻撃の為の拠点として使用していたらしく、当時ビルマ軍の兵士と地元住民が物々交換をしていたのがこの寺院周辺だったとか

それが名の由来となったこの寺院は、ご多分に漏れずアユタヤ王朝崩壊後がっつり放棄されてしまうのであった


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放棄された廃墟寺院シリーズ29 ワット・チュムポム @ 東アユタヤ

住宅街を抜けた草原にある3遺跡のひとつ



ここは街全体が世界遺産のアユタヤ島から南東に位置した地域

アユタヤはその昔王朝があり栄えていたのだが、ビルマ軍との闘いに敗れ徹底的に街を破壊された悲しき過去を持つ

その後王朝がトンブリへ移った為、破壊された街はほとんどが放棄されてしまう

世界遺産となった現在において、メジャーどころは整備され観光客を受け入れられる程きれいになっている

が、一部の寺院は今なお放棄に近い形で存在し、放棄寺院マニアを惹きつけているという

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放棄された廃墟寺院シリーズ5 ワット・プラガーム @ 北アユタヤ

菩提樹に覆われた『時の門』より訪れよう



この寺院も1767年のアユタヤ王朝崩壊時と同時に見放された寺院
チェディーの形状からアユタヤ時代の初期に建立されたと考えられている

北アユタヤの放棄寺院の中でもダントツに美しいこの寺院は、正確な情報があまりなくその歴史は謎に包まれている

ただその門の菩提樹が覆いかぶさった姿は、歴史的記述がなくとも何百年もの間の軌跡を感じることが出来ると言えよう


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放棄された廃墟寺院シリーズ27 ワット・コーク・プラヤーラーム @ 北アユタヤ

王族専用の処刑場跡地は今や放棄された廃墟寺院へ



この名前の寺院は同じ北アユタヤ地区にもうひとつ存在している

いずれどちらも放棄寺院であり、絶賛誰もいない状況が繰り広げられている

歴史をひも解くと寺院と言いつつ、どうやら高貴な方々専用の処刑場であったようで、パッと見ただけでは分かり得ない、なんともおぞましい履歴を持つ遺跡のようだ

現在では草原の真ん中にひっそりと存在する、さみしさ満点の風景となっている


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プロフィール

かかし

タイでお仕事 10年目

生息地はバンコク
バンコクより車で半径2時間程度の
『誰も知らない知られちゃいけない』箇所をメインに
独歩(独りで歩く)した備忘録です

日本語以外の語学力を有していないので,
あまり詳しい説明は出来ません!

相互リンクは大歓迎
特に連絡も要りません!
どうぞご自由に~

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